エホバの証人についての一問一答

本ページはエホバの証人について一般の方が理解するのに役立つと思われる用語・教理・問題の背景等の解説です。

エホバの証人問題の本質は教団組織にあり、信者個人は末端の信者であればあるほど、また二世三世など子どもであるほど被害者になります。そのため、信者個人への攻撃や差別は問題解決に何ら意味はなくむしろ有害であると考えています。こうしたことを理解し、それに基づく行動をお願い致します。

目次

エホバの証人とは?

「エホバの証人」とは宗教団体の名称です。英語ではJehovah‘s Witnessと言うため日本でも「JW」と省略されることが多いです。近年、「JW.ORG」と表記したロゴを使用することが多いです。

「エホバ」とはエホバの証人が崇拝する唯一神かつ創造者の名前です。「証人」とは、エホバ神が正しいことを地球上で証明しようとする教理の反映です。

なお、エホバの証人が使用する宗教法人の登記名は「ものみの塔聖書冊子協会」ですが、宗教団体の名称としてはあくまで「エホバの証人」を称しています。

エホバの証人は何を信じている?

教団は、設立以降一貫して近い将来にエホバ神が「ハルマゲドン」という滅びを地球上にもたらして、エホバの証人以外の全ての人々を滅ぼすこと教えてきました(予言は外れてきましたが)。そして、エホバの証人だけがその滅びを生き残り、信者達だけがその後に地球上に新しく構築される新体制(「地上の楽園」と言う)で永遠に生きられると教えています。

このような理由に基づいて、教団は信者たちに教理に従う事を指導します。その教理の一つが布教(伝道、奉仕とも言う)です。布教は非常に重要なものとされているため、多くの信者は布教活動(奉仕活動)を行う。駅前で雑誌を持って立っているエホバの証人を見たことがあるのではないでしょうか。

その他の教理に関しては、以下で説明します。

エホバの証人の教団の一般社会から見た特徴とは?

龍谷大学教授の猪瀬優里氏は、教団の特徴について、教団から離れたら不幸になるという脅迫的教義や、脱会者との会話禁止などの教義、一般社会との価値観の相違が大きいことにあるという。また、教団の内と外を明確に分け、メンバーシップを失ったものに対する厳しい制裁が教理 ・組織の両面で見出される、とも述べています1

社会学者の山口瑞穂氏は、「海外発祥」「宗教的な源泉がキリスト教」「新宗教」という側面を持つ宗教運動であると説明しています2

本文書では、上記の龍谷大学教授・猪瀬氏及びこの社会学者の山口氏の論文等を度々引用するのでここで掲載しておきます。

エホバとは?

エホバの証人の教理では、エホバとは唯一神であり、創造者です。イエス・キリストの父でもあります。別名がヤハウェ(YHWHとも表記することがある)。唯一神とは、エホバ以外の神は神ではなく、偽りの神とする教えです。唯一神を教理とする宗教には他に、ユダヤ教、イスラム教などがあり、これらの宗教でも同じように信仰する者だけが救済されるという教えになっています。

教団の設定では、エホバは万物の創造者でもあります。アダムとエバ(イブ)が6000年前に登場し、人類が全てアダムとエバの子孫であると説明します。詳細は割愛しますが、その後、アブラハム、ノア、モーセなどと続き現在に至ります。

サタンとは?

教団の教理では、サタンとはエホバへの反逆者であり、「事物の体制」(エホバの証人社会に帰属しない全ての人類・社会構造のこと。別項参照)は全て悪魔サタンの影響を強く受けているものとされています。エホバと対立する霊的な存在であり、エホバとこの世の支配権を巡って戦っており、ハルマゲドンでその決着がつくという設定になっています(教団では「宇宙主権論争」と言うが本サイトでは詳説はしない)。

教団は、エホバの証人に批判的・対立的な一般情報の根源は悪魔サタンであるとしています。そのため、教団は、教団に批判的な情報は悪魔サタンによるものであるため見てはいけないと情報統制を行っています(情報統制について別項参照)。

事物の体制とは?

「事物の体制」とはサタンの支配するこの世の中です。エホバの証人の教理では、ハルマゲドン(別項)により、サタンの支配する事物の体制は終わり、エホバの支配する楽園が来ることになっていますが、その際に終わらせられる側が「事物の体制」です。

エホバの証人は信者ではない人を「世の人」と言い、反対に信者同士では「兄弟姉妹」と呼び合います。内と外を明確に分け、この世とエホバの証人の教団内の関係は明確に区別されます。教団は設立以来一貫して、「この世はハルマゲドンによりすぐに滅ぼされる」と教えてきました。この「すぐに」というのは数年とされたり、数十年とされたりしてきました3。そのため、もうすぐハルマゲドンが来るから「この世」での成功をしても幸福にならないとの指導が行われてきました(エホバの証人に高等教育の否定・正規雇用の否定の傾向が強くみられるのはこうした理由によるものである)。

なぜ伝道(布教)するのか?

教団が信者を動員して行うのは伝道活動です。「ものみの塔」と「目ざめよ!」という雑誌を持って家から家へ一軒づつ周り伝道をする事はよく知られています。近年では「カート奉仕」と呼ばれる、エホバの証人出版物をカートに陳列し、駅前や公共施設・人の多く集まる様々な場所で教団出版物を掲げる姿が各地で観察されています。

社会学者・山口瑞穂氏によれば、教団は信者を動員し、その宣教時間を管理し、信者数だけでなく宣教時間も増加させようとしています4。これは、近い将来、ハルマゲドン(別項)により、エホバの証人以外が滅ぼされて事物の体制(別項)が終わり、エホバの証人のみが救われる神の王国が来るという終末思想に基づくものです。すなわち、多くの人に布教してエホバの証人を増やし、救済される人を増やすという義務感が、彼らが布教をする理由です。

また、伝道しないと指導的立場にある長老などの上位者の指導の対象になるから、という側面もあります。信者は毎月「奉仕報告」と呼ばれる文書を提出しなければなりません。これは報告月に何時間を伝道に使ったのかを報告するものである。芳しくない時間数を報告すると、長老や援助奉仕者から「励まし」と称した声掛けが行われます。このような声掛けは信者にとっては不名誉なことであり、これを避けるために伝道をする、ということです。

なお、社会学者・山口瑞穂氏は、「伝道時間を管理するという教団方針は、高額の寄付などの金銭を伴うものではないため、問題が表面化しにくい」としています5。この時間が引き起こす問題については別項「奉仕」の欄参照。

エホバの証人の組織構造とそれぞれの役割はどうなっているのか?

神権組織とは何か?組織批判は絶対タブー、その問題とは?

「神権組織」とは統治体(別項)と呼ばれる幹部組織を頂点とするエホバの証人の組織全体のことです(以下の図を参照)。教団は信者に対して「組織への忠節(組織の言うことに従うこと)」を明確に強く求めます。教団内では、神権組織のことを単に「組織」と呼ぶことが一般的です。

社会学者の山口瑞穂氏によると、組織への忠節を要求する背景にはハルマゲドンの預言を外す度に信者が離反してきたことの反省があると言います。ハルマゲドンの預言の成就に関わらず信者に留まるように促すために「組織への忠節」を要求するようになったのです6

「組織への忠節」の教義の本質は、この神権組織(統治体)への批判をしてはいけない、というものです。すなわち、ハルマゲドンの預言を外そうが(別項)、聖書を都合よく翻訳しようが7、輸血拒否など科学的根拠の乏しい教義により信者やその子が死のうが8、組織を批判してはいけません。組織への批判は排斥事由(排斥について別項)とされる。そのため、信者にとっては絶対のタブーです。

この教理はまず出版物において徹底されます。例えば2022年11月のものみの塔では「どんな時にも冷静さを保ち,エホバと組織を信頼する」と題する記事でエホバ神だけではなく、組織(統治体)に信頼を寄せるように要求する記事を掲載しています。こうした出版物は多数あり、集会で信者が出版物を学習することによって信者に刷り込まれます。

出版物以外の教理徹底ルートを説明すると以下の様になります。信者間で組織に批判的な会話をすれば会衆の長老に通報されます。会衆の項で述べる通り、信者は濃密な人間関係を築き相互監視をしている状態であり、通報は起こりやすいと言えます。また、週に2回以上顔を合わせるため長老と呼ばれる幹部も信者の言葉の異変には気づきやすい仕組みになっています。このため、口頭での批判をすればすぐに露見します。批判して排斥されれば長年培った組織内での人間関係を含めてすべて失うなど強い制裁を課されるため(忌避の項参照)、信者間で批判的なことは絶対に口にできません。こうして統治体の決定した教理が教団全体で徹底されます。以下の図のようなイメージになります。

エホバの証人教理徹底のメカニズム

このように権威主義的かつ批判者を見つけ出して排除する組織になっているために、統治体が変わらなければ教団全体は変えられないと考えられます。つまり、日本支部が日本の教団を変える力があると考えるのは組織の構造上ありえないと考えられます。日本の教団を変えることができる教団内の力は統治体(在アメリカ、別項)のみであり日本支部ではないと思われます。

なお、教団の教えや活動は、2022年12月に厚労省より発出された「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」で定められた児童虐待の多くに該当すると思われます。すなわち、信教の自由のもと、教団を放置することは児童虐待の温床を放置することになります。法律に基づく対処が必要ではないでしょうか。

また、カルトの多くは集団自殺などの末路を迎えますが9、エホバの証人もカルトやセクトと認定される等しており(ベルギーやフランスでは政府によりカルトまたはセクトと指定されている10。ノルウェーでは宗教法人格の取り消し11。また、龍谷大学の猪瀬優里教授は「カルトの特徴を備える」と分析している12。)、多くのカルトと類似した特徴を備えています。エホバの証人もこのような末路を辿らないとは限りませんし、放置すれば多くの国民が巻き込まれる可能性があります。

統治体とは?

統治体とは、全世界のエホバの証人の最高指導者です。アメリカ本部にいる数名の男性高齢信者の合議体です。

エホバの証人の教理はそのほとんどすべてが統治体が決めたことが根拠となっています。教団内では、その正当化の根拠として、統治体のみがエホバ神の意思を地上に伝える唯一の機関だから、としており、信者は強くこれを信じています13(別項参照)。

近年になって、ハルマゲドン(終末予言)などについてはその予言を何度も外したことからその信憑性が乏しくなるなどしており、教団の外から見ればなぜ教理を正しいと主張したり信じたりできるのか理解できません。統治体自身もことを認識していると思われますが、それでもなお教理を維持したり、また微修正したりするのは、組織批判者を徹底的に排除できる統治体の権力の大きさによるものであり、その動機は教団の維持・生き残りのためであると考えられます。

統治体はどんな組織なのか?元統治体メンバーによる説明は?

かつて統治体のメンバーで、内部で批判的な運動をしたとして一方的に排斥され、内部事情や教理の虚偽について詳細な書籍(『良心の危機』)を執筆した人物(レイモンド・フランズ)がいます。この『良心の危機』はエホバの証人問題を理解するうえで決定的な役割を現在も果たしています。

元統治体メンバーのフランズは統治体の機能について「事実上、当時の統治体は司法裁判所であり、(統治体の)決定事項が全てのエホバの証人にとっては法律同様になるという意味では立法機関でもあった」と述べて権力の大きさを説明しました14司法・行政・立法の三権分立により権力集中を防ぐのが近代民主主義国家のスタンダードですが、教団にはこれとは逆に権力を集中させているという意味です)。

フランズは「信者たちが統治体に対して深い信頼を寄せている」と述べています。つまり、統治体メンバーは信者に信頼されていることを自覚しています。

統治体はたとえば、輸血拒否やハルマゲドンなどの教理を決めるだけでなく、教理にはない以下のような課題にどう対処すべきかにも方針を示します15
・子どもに高等教育を受けさせた長老はその立場にとどまれるのか?
・普通ではない性行為(例えば、口淫、肛門淫)は許されるか?
・フルタイムの仕事を持つ者は長老ができるのか?

上記のような相談事項に統治体は見解を示し、統治体は示した見解が信者を強く拘束することを認識しています。しかし、統治体の示す見解の根拠についてフランズは、「何の予備知識もなく、またよく考えてみることもなく、特別な祈りもしなければ特に聖書を調べることもなかった男たちが何時間もかけずに下す」ものであると振り返っています16

要するに、自らを神格化した統治体は信者から深く信頼を寄せられている一方、その信頼に足る調査・分析・決定をしていない、と元統治体メンバーが分析しているのです。

支部/日本支部はどんな組織なのか?

支部とは、米国にある本部に対して米国以外の国での中央組織のことです。日本では「ものみの塔聖書冊子協会」という名称で登記されています(登記地は神奈川県海老名市中新田4丁目7−1)。支部は「ベテル(別項)」とも呼ばれます。信者間では支部のことを「海老名ベテル」または単に「ベテル」と言うことが多く、ベテルはエリート信者が奉仕活動を行うことができる場所であると認識されています。

神権組織の項で述べた通り、日本支部には教団の活動を変える力はないと考えられる。統治体(米国本部)が教理の全てを決定し日本支部を通じて徹底を図るが、日本支部にいる信者はエリート信者ではあるものの、統治体に影響を及ぼす力は一切ない。事実、統治体メンバーであったフランズでさえも組織に批判的なことを発言して排斥されている。統治体メンバーですら排斥されるのだから、支部に属する信者も排斥を恐れて発言できないのは当然である。

組織に都合の悪いものは全てウソとする教理であり17、これまでの教理が児童虐待に当たるとの指摘を、日本支部に属する幹部信者が統治体に対して行うことなど考えられない。批判と受け取られれば自らの立場を危うくするからです。

なお、歴代の支部の代表者は以下の通り。
本間年雄氏(1976年から代表、後に排斥、2017年死去)
織田正太郎氏(1983年から代表、2004年事故死)
池畑重雄氏(2004年から代表)
乳井健司氏(現在の代表者)

巡回監督とは?

エホバの証人は、日本支部を大きく地域(例えば九州)と小さな巡回区(例えば福岡第一巡回区)のように分けています。この巡回区には20程度の会衆が所属します。この巡回区を監督するのが巡回監督です。巡回監督は、巡回訪問という会衆への訪問業務を行います。これは、特定の会衆に一週間程度滞在し集会や奉仕などに実際に参加したり、長老や援助奉仕者の行っている業務の監査を行うことを指します。年に1,2度行われます。

巡回監督は、長老の中から模範的であることを条件に選ばれた、いわばエリート信者あり幹部信者です。一般の信者からは尊敬の目で見られるし、巡回訪問中は様々な場で信者に対して講演や挨拶をする指導的立場にあります。

この巡回監督の口頭での指導は信者に多大な影響を及ぼします。指導の一環として、巡回訪問中に、巡回監督は信者からの相談を受けることが多いです。相談事項には、例えば、子どもを大学に行かせても良いのか?鞭をどの程度すればいいか?など後に述べる児童虐待につながるようなものもあります。これは教団の発行する出版物が大量にあって、教えが変化しているために、信者にとっては最新の指導を求めるという側面があります。

巡回監督はこのような相談に対して口頭で指導します。信者の信頼を背景に監督の立場を通して行われる指導は信者に絶大な意味を持ち、信者の行動を支配することになります。そして、神権組織の項で述べたとおり、組織批判は絶対的タブーのため、巡回監督の指導にも異議を唱えることは困難であり、相談した信者は従わざるを得ません。結果、上記の例で言えば、巡回監督が大学について好まくないとの指導をすれば親は子を大学に行かせない。また、鞭が好ましいとの指導をすれば親は鞭をするといった具合です。

上述の通り、巡回監督の指導は口頭のため証拠が残りにくいものの、教団教理を実際に運用するために強力な役割を果たしています。

会衆とは?

居住地域ごとに数十名から100名程度でまとめられた基本単位のことです。集会や奉仕などエホバの証人の活動は「会衆」単位で行われる。人口密度により大きく異なるが、人口5万の市であれば1つの市に1つの会衆が存在するイメージです(日本でのエホバの証人は600人に1人程度)。
会衆は王国会館(別項)と呼ばれる場所を利用して集会を行います。

会衆は顔を覚えやすい人数で、信者は毎週2回の集会を欠かさずに出席し、伝道(奉仕とも言う、別項)も行うため、週に3回以上も顔を合わせる間柄となります。自然と人間関係は濃密になります。このような濃密な人間関係が教理の運用を強化します。

つまり、集会前後の非公式な場や、伝道中に現実に顔を合わせることで信者の信仰態度を相互に監視しやすいのです(教団や信者に監視の意図はないかもしれませんが、信仰が弱った人から見れば監視と取れます)。例えば、神権組織の項で述べたとおり、組織への批判は絶対にタブーであるためこのような会話はなされれば即座に通報されます。服装(例えば女性信者はロングスカートを履く)や振る舞いなどでも信仰を内面化しているかは判断できます。信者同士でも直接顔を合わせるだけででその人の信仰の状態を判断できるし、幹部信者が平信者を見ればすぐに判断できます。

このようなことについて、龍谷大学教授の猪瀬優里氏は著書の中で「幹部層が信者の行動パターンの変化に気がついた際には、どのような心境・環境の変化があったのか、事情を問うことができる。このような監視体制によって、脱会しそうになった信者を留めおく圧力をかけることが可能になる」と説明しています18

このような濃密な人間関係を背景にして、人権侵害(が疑われる事象)は大抵この「会衆」内で起きます。その態様は、「会衆」ごとに地域の特殊性が色濃く反映されるため細部が微妙に異なり多様になります。この「会衆」の指導者は長老と呼ばれます(別項)。

長老とは?

長老とは、会衆の責任を担う男性信者のことを指します。概ね会衆に3名程度任命されます。役割には公開講演、ものみの塔研究の進行役、信者のフォロー(「牧羊」と呼ばれる訪問、「励まし」と呼ばれる声掛け)、割り当ての段取り(集会のプログラム作成や役割分担の決定)などがあります。バプテスマを受けて比較的経験の長い男性信者から選ばれます。

会衆の項でも述べたとおり、教団では濃密な人間関係を背景にして集団監視がなされていますが、日常的に幹部層として指導を行うのはこの長老であり、信者の監視をし、教理にそぐわない信者を指導し、矯正し、場合によって排斥(別項)する役割を果たします。後に述べる排斥者への忌避、鞭の問題、大学進学の問題など、信者が抱える疑問はまず長老にぶつけられ、長老が指導する役割を果たします。

長老は必ず組織の方針に沿った運用を行う。それは長老は幹部層であると同時に一信者でもあるから、神権組織の項で述べた通り、組織への批判が許されないのは長老も同じです。そのため、長老が個別の信者の事情を斟酌して組織の解釈を曲げたり、柔軟に運用することは考えられません。すでに述べた通り濃密な人間関係のもとで相互監視が出来上がっており、また、長老は複数いることから、組織の方針に従わない長老がいれば別の長老により上位者(巡回監督)通報されるからです(長老も信者同様に排斥になる)。

組織の方針に沿った運用をする理由は、長老が教団教理を本気で信じているためでもあります。長老も信者と同様に、例えば、排斥者に対してはたとえ親族でも忌避すべきであると出版物を通じて学び、忌避をしなければならないと本気で信じています。そのため、具体的にどの程度忌避すればいいのか詳細に関する相談を受ければ組織方針に沿った指導をすることとなります。

信者にとって、このような身近な幹部層である長老の指導は強力です。その理由は会衆の項で述べた通り、頻繁に顔を合わせる間柄で人間関係は濃密であり、会衆では長老が教え、信者は教えられるという上下の関係となるからです。また、その他の信者の監視の目も考慮して行動しなければならず、悩みを抱えた信者は長老の指示に従う事となります。実際にこのような長老の指導により、排斥された娘に14年間会わない選択をする親の信者もいるほどです19

援助奉仕者(奉仕の僕)とは?

援助奉仕者とは、長老を助ける補佐役の男性信者のことを指します。以前は「奉仕の僕」と称していました。奉仕活動に積極的に参加し、身なりにおいても模範的な男性信者から選ばれます。教団出版物である「エホバの望まれることを行う組織」の第6章「大事な働きをする援助奉仕者たち」には、その役割として「雑誌や文書の管理、会計、音響機器の操作、案内係、王国会館のメンテナンス等がある」とされています。

上記教団出版物では、援助奉仕者の資格が次のように説明されています。「援助奉仕者は,若くても年を重ねていても,宣教に毎月活発に参加します。」「援助奉仕者として仕える男子は,服装や身なり,言葉遣い,態度,行いの面でも模範的です。」このように、援助奉仕者とされるには、集会に参加するだけでなく奉仕(伝道)にも活発に参加しなければなりません。

上記の通り、模範的でなければ援助奉仕者にはなれないため、任命されることは信者の間では名誉なことであり尊敬されることでもあります。そのため若い信者は援助奉仕者になりたいと願う者も多いです。一方、模範的とされるためには、集会出席だけでなく、奉仕に参加するなどの時間的負担もしなければならない(詳細は集会と奉仕の項参照)。そのため、援助奉仕者を目指す者はフルタイムの仕事をせずに組織の指示に従って教団活動をすることとなります。

開拓者とは?

バプテスマを受けた信者のうち、一定の時間を費やして奉仕活動(別項)をする信者のことを「開拓者」と言います。教団は若い信者は開拓奉仕を推奨します202122。組織方針に沿って会衆内でも好ましいとされ、信者間では開拓者になることは「特権」と呼ばれます。

開拓者は「正規開拓者」または「補助開拓者」に分けられます。開拓者は月ごとに所定の時間(以下参考)の時間を奉仕活動に費やすことを要求されます。時間を費やしたことを長老に報告しなければならない。約束の時間を費やせない場合には、「霊性が低い」という評価を周囲から受けたり、長老から「牧羊」と呼ばれる指導を受けることがあります。
正規開拓者 50時間/月(2022年以前は70時間、もっと以前は90時間)
補助開拓者 30時間/月(2022年以前は50時間、もっと以前は60時間)

このような制度は、特に二世信者に重大な影響を及ぼします。開拓奉仕は特権という認識を背景に、親世代の信者は二世信者に対して「高校を卒業したら開拓奉仕をするのね?」などと声掛け(教団内では「励まし」とも言う)をする。また大学卒業に否定的な組織風土(別項)もあり、高校を卒業しても開拓奉仕をしない場合に「霊性が低い」という評価を周囲から受けることがあります。

会衆の項で述べた通り、会衆内には濃密な人間関係や相互監視の目があるが、二世信者はその中で上記のような声掛けの影響を受けて成長する。当然、高校卒業時になれば人生の選択を迫られることになるが、この時に必ず選択肢の一つとして考えるのが「開拓者」になることです。開拓者になることは、バプテスマ(別項)同様に二世信者のその後の人生に多大な影響を及ぼします。というのは上記の通り多大な時間を費やすことになるため、フルタイムの仕事が継続しづらく、貯金はもちろん年金や社会保険料の支払いも十分にできないことも多いためです。

兄弟姉妹とは?

バプテスマを受けた信者は、男性は「兄弟」と呼ばれ、女性は「姉妹」と呼ばれる。例えば、氏名が山田花子の場合には、「山田姉妹」、「花子姉妹」などと呼ばれる。一般的に言えば平信徒に当たる。会衆内での呼び名は「山田さん」と言われていたところが「山田姉妹」に変わる。肩書が加わったサラリーマンのように教団内での出世を感じる信者もいます。

会衆内で伝道者を1年以上続けていれば「バプテスマを受けるのはいつ?」などと聞かれる様になります。また、会衆の項で述べた通り濃密な人間関係・監視体制が出来上がっており比較の対象になるため、二世信者では同世代・同年齢の者がバプテスマを受けて兄弟姉妹になると出世レースから乗り遅れたように感じる者もいます。そのため、別項で述べるが、バプテスマはその後の一生を決める(一生エホバの証人を続けなければならず、仮に脱会すれば強烈な制裁を教団から加えられることになる)重要な意思決定であるにも関わらず、未成年、もっと言えば10代前半でバプテスマを受けてしまう者もいます。

組織は、未成年でのバプテスマを当然のものとして運用しており、上位者である長老や巡回監督がその意思がある者を未成年であることを理由に止めることはないだけでなく、進んで受けるように奨励します。つまり、教団内では未成年も成年も同じ様に扱っており、一般社会で見られるような意思表示能力を問題にしていません。

なお、バプテスマを受けた兄弟姉妹(信者)が脱会するには、組織から排斥されるか、自ら断絶するしかありません(別項)。

伝道者とは?

研究生が所定の聖書研究を終え、長老からの質問を受けて回答出来た場合、「伝道者」と認定されるようになります。伝道者は奉仕(別項)を行うことができます。伝道者が集会出席や奉仕を欠かさず、きちんと参加しているとみなされた場合、一定の要件でバプテスマを受けられます。

伝道者には排斥・断絶(別項)などの組織を離れるための手続きがない。そのため、伝道者の段階で組織を離れることは比較的容易にできます。

なお、世界に日本に約21万人、約860万人いるというエホバの証人は、この伝道者の数であり、正式信者とされるバプテスマを受けた信者の数ではありません。バプテスマを受けた信者の数は伝道者のように明確には公開されていません。

研究生とは?

一般人がエホバの証人と聖書研究を始めると、教団内では「研究生」と呼ばれます。聖書研究とは、定期的に1時間程度かけて行われる教団文書と聖書の学習です。通常、バプテスマを受けた信者が司会者となり、研究生に教団出版物を学習させます。

研究生が一定の学習を修了するなどの所定の要件を満たすと「伝道者(別項)」と呼ばれる様になります。教団内では「早く伝道者になれると良いですね」などと先輩信者から声をかけられ、信者は伝道者になることを意識するようになります。

なお、「研究」とは称するものの、教団文書の学習(刷り込み)に過ぎず、一般的な意味で研究の側面はありません。例えば、学術的な研究では既存の理論を批判的に分析をして新しい理論を打ち立てることで真理に迫ります。しかし、神権組織の項で述べた通り、組織批判は絶対のタブーであるためにすることができない。そのため、教えに批判的なことや否定的な事を言う研究生は聖書研究を打ち切られます。

エホバの証人は脱会困難、その理由は?

教団は様々な角度から政治的・社会学的に分析されており、脱会が困難なカルトであるとされています2324。以下の図は脱会が困難になるメカニズムの概略図であり、ここでは簡単に説明します。全ての用語は本資料に解説されているため、そちらを参考にしてください。

まず、統治体は自らを「エホバの意思を受ける唯一の経路」であると神格化し、統治体に絶対服従する教理を正当化します。これは組織への批判をすれば排斥になる措置を伴うものです。さらに、組織に不都合なマスコミ報道などは「ウソ」であり25、信者はこれを見ないように、信じないように指導されています(なお、この「見ない」「信じない」という指示も絶対服従の対象であり、そのようなニュースを見て教団内で見たことを口にすれば長老から指導され、悔い改めない場合には排斥される)。

会衆では上記教理を学習し、週2回以上の集会で培った濃密な人間関係のもとに相互監視が行われ、長老による口頭での指導が行われます。

排斥による制裁は「忌避」です。忌避は親子ならば絶縁、親子以外ならば無視をするように人間関係を断つ行為であり、信者は排斥による忌避を恐れて教団を脱会出来ないのです。以上を図式化すると以下の図の様になります。

エホバの証人は何を教えているのか?

教団の聖書に対する解釈等はWikipediaが詳しいので、Wikipediaをご覧ください。本サイトでは、Wikipediaには書かれていない教団の教えを説明します。

バプテスマって何?受けるとどうなるの?

バプテスマとは、正式な信者になるための儀式(洗礼)のことです。一定の教理を理解していることを長老が質問して確認したのち、認められるとバプテスマが行われます。以後、排斥又は断絶の手続を経ない限り、一生涯の成員として扱われ、排斥・断絶以外の退会手続きは存在しません。エホバの証人は洗礼は水に沈めますので、二世信者はカジュアルに「水没」とも言います。

バプテスマは、深刻な人権侵害の最大の要因の1つになっており、特に若年者において顕著といえます。2世信者の場合、12,3歳でバプテスマを受けて正式に信者になります。そして一度正式な成員になってしまうと、極論すると、その後何歳になっても、信仰を失ったり、一般社会での通常の恋愛の範囲内であるが教理が禁じている性的行為を行ったり、タバコを吸ったり、教理を批判する情報を取り入れてその内容を公言したりすると排斥されます。そして、ひとたび排斥されると、それまでの信者の友人知人はおろか、信者である家族・親族からも忌避され、人間関係や家族・親族関係が永続的かつ決定的に破壊される(忌避につき後述)

例えば、教団内の二世信者で一般的なのは10代前半でバプテスマを受けて教理に忠実に大学にも行かず、高校卒業後に開拓奉仕を始めて組織内で「模範的」とされて年を取ることです。年をとってから教理に疑問を持った場合には、バプテスマ以降、疑問を持った時まで会衆内で濃密な人間関係を築いている一方、一般社会との関わりは教団内で模範的であればあるほど希薄です。パートタイムの仕事を転々としているケースも多い。当然、職場での人間関係は希薄であり、教団以外の人間関係やつながりを持っていなくてもおかしくない。このような場合、排斥や断絶などで信者としての地位を失えば、社会とのつながりをほとんど失うことになります。このような巨大な制裁があることを十分に認識できる年齢に達しないままに二世信者がバプテスマを受けている実態があります。

このような実態に対して教団は何も措置をしていません。反対に、教団は若い人でもバプテスマを受けることを推奨します。次に、監督的立場の長老や巡回監督はどうかと言えば、二世信者に対しバプテスマを受けるべきであると指導します。統治体への批判は絶対的タブーであり排斥事由であるため、監督的立場の人間もこれに従わざるを得ないからです(バプテスマを受ける基準に達しているかの判断はされるが、排斥・断絶による忌避の制裁についての説明はしない)。つまり、二世信者には、排斥・断絶による忌避という巨大な制裁を説明してくれる大人がいないのです。また、バプテスマを受ける同意年齢のようなものも教団は設定していません。大人になるにつれて本人の意思が変わることも考慮に入れません。そのため、教団内でバプテスマを10代前半で受けるのは極めて一般的な事になっている。

バプテスマを受けてしまったがゆえに忌避という制裁が怖くて教団から出られないと感じる二世信者は非常に多く存在し、バプテスマは教団からの脱会を困難にする大きな要因の一つになっています。

鞭(ムチ)、教団による虐待の推奨、その真相はどうなっているのか?

エホバの証人の教団は子に鞭(体罰、虐待)をするように教えていました。例えば、ものみの塔1954年4月1日の「子供を懲らしめて生命を得さす」という記事によれば、「家の秩序を保つ保つためなら文字通りの鞭を用いることが必要でありましょう(P131)」とされていました。この記事には子どもの尻を鞭で打つ挿絵がついていました(左)。

一方、比較的新しい出版物である1992年9月8日号目ざめよ誌「「懲らしめのむち棒」― それは時代後れですか」では、鞭による体罰があったことを暗に認めつつも「教え正すという懲らしめの所期の目的を踏み越えるなら,児童虐待に至りかねません」と掲載し、体罰があったことを認めつつも児童虐待に至らない程度にしなければならない、としました。一見、児童虐待には歯止めがかかったように見えます。

では現実はどうかといえば、2022年に行われた社会調査支援機構チキラボの調査では、エホバの証人2世のうち8割以上が「家族からの体罰を経験した」と回答した26。また、近年でも鞭を受けた被害者による証言が多数あります272829

組織が出版物で児童虐待を否定しながら教団全体としては鞭を続ける実態の背景には、教団のもう一つの指導ルートである巡回監督や長老などを通じた口頭での鞭の指導があります。実際に鞭をする親は、いつ鞭をするのか、鞭の強度などの要領に悩んだ際は会衆の長老やその上位者である巡回監督に相談し、鞭の実務について口頭での指導を得ます。その要領に従って親は鞭をするのです。その結果、上記のようなアンケートや証言が得られていることとなります。

まとめると、出版物では「鞭は児童虐待にならない程度」としておく一方、指導者である巡回監督や長老は鞭をするように口頭で指導したという訳です。口頭での指導だけに証拠が残りづらいものの、被害者の証言が多数あることから児童虐待の温床になっていると考えられます。

教団は毎日新聞の取材に対して「方法は各家庭で決めることだが、体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。教えを強制することもしていない」とコメントしました30。また、後日、教団は毎日新聞の取材に対して「1990年代には誤った解釈でむち打ちなどがされていたことは聞いている」と答え、鞭がなされたことを認めたものの、責任を信者側に転嫁しています31

他方、このような教団側の態度を無責任と考える元2世信者が謝罪要求をするなどしています32

なお、児童に対して鞭を行うのは児童虐待に該当する33

排斥とは?断絶とは?

排斥

「排斥」とは、組織側が行う信者の退会処分です。排斥事由には以下のようなものがあります。
組織への批判(出版物や聖書原典に記載されていることへの異議を含む)
・輸血、血を食べること
・脱会者との接触(忌避という教理の違反)
・結婚前の性交、婚外交渉
・異教の神々の崇拝、国歌・校歌斉唱、国旗・校旗等への敬礼(エホバ以外への崇拝行為に当たるため)
・喫煙、過度の飲酒

排斥手続きに「審理委員会」が開かれます。これは複数の長老による信者の尋問です。信者に問題となった行為を事細かに尋ね、最後に悔い改めるかを尋ねる。悔い改める意思(組織の決めた教理に従うという意思)を明確に示した場合には排斥にはならないが、それ以外は排斥になります。排斥は忌避(別項)の対象になります。

断絶

排斥が組織側の判断でなされるのに対して、信者側の判断で行われるのが「断絶」です。信者は断絶届けを出せば教団から離れられる一方、教団組織の断絶信者への取り扱いは排斥と同様に忌避です。

フェードアウト

上記の「排斥」「断絶」は組織の正式な手続きであり、以下の忌避を伴います。その他の脱会手法として「フェードアウト」がある。フェードアウトは、集会や奉仕などの信者に必要なことに事実上行かないことで幽霊信者化する手法であり、しばしば引っ越しと同時に開始される。フェードアウトというのは二世信者の隠語でもあるが、海外のエホバの証人研究では一般的に用いられる用語になっている。FOとも略されます。

なお、英語は以下のように整理できる。海外文献を読む時の参考に34
排斥…DF = Disfellowshipped (forced exit)
断絶…DA = Disassociated (formal voluntary exit)
フェードアウト…Faded = (informal voluntary exit)
忌避…Shunning, Ostracism

排斥者、断絶者への「忌避」とはどのような処置なのか?

教団は、排斥者・断絶者に対して「忌避」という制裁をするように指導します。具体的には、会話をせず、目を合わせないなど、一切の関わりを断ちます。教団出版物「自分を神の愛のうちに保ちなさい」では、「わたしたち​は、排斥​さ​れ​た​人​と​は​霊的​な​交わり​も​親睦​の​交わり​も​持ち​ませ​ん」「簡単な挨拶もしない」「徹底​的​に​避ける​こと​は​本当​に​必要​か。その​とおり​です」と表記しています。教団は、忌避を排斥者・断絶者に対する愛ある懲らしめであるとも説明しており、極めて厳しい制裁の理由付けを「愛」とすることで信者を納得させます。また、悔い改めるならば組織に復帰させても良いというのです。

家族が排斥された場合に忌避はどうなるのでしょうか?これは同居しているかしていないかで取り扱いが異なります。まず同居家族については、教団出版物「自分を神の愛のうちに保ちなさい」によれば、「排斥​さ​れ​て​も​家族​の​結びつき​は​断た​れ​ない​の​で,家族​と​し​て​の​日々​の​通常​の​活動​や​関係​は​続い​て​ゆく​でしょ​う」と記載されており、同居の場合には特に措置がないようにも見えます。一方、同居でない場合には「家族​と​し​て​の​必要​な​事柄​を​顧みる​ため​に​限ら​れ​た​範囲​で​接し​なけれ​ば​なら​ない​こと​が​まれ​に​ある​と​し​て​も,そう​し​た​接触​は​最小限​に​とどめる​べき​です」と記載され事実上縁を切るように指導されています

では現実はどうでしょうか?教団内での運用はさらに徹底されてます。信者も人間であるため、排斥者・断絶者を見かければ人間として声をかけたくなる者もいます。しかし、このような場面でも「忠節が試みられる」「信仰が試される」として絶対に声をかけないように指導され、家族でない信者との忌避は徹底されています。

家族間での忌避については、排斥後、母に帰省することを拒まれ14年間に会えていない者もいます(会衆の長老が排斥された娘との交流を慎むように告げた、という)35。また、母からの絶縁宣言がされた息子がいるとの証言もあります36。出版物で示された教理を、実際に長老などの指導的な立場にある者が口頭で指導することにより運用を徹底している様子がここにも存在します。

第三者的視点での分析もあります。龍谷大学教授の猪瀬優里氏によれば「脱会したエホバの証人は、たとえ親きょうだいであっても、「背教者」として認識され、話をすることも否定される。この特徴は、信者が教団から離れることを困難にする37。」「(教団の特徴について)「教団から離れたら不幸になる」などの脅迫を含む教理や、「脱会者との会話の禁止」などの教団側から関係を断つ組織的構造にこの特徴をみる。このような特徴を持った教団の場合、信者が離脱の意志を持っても、教理への恐怖や人間関係を失う恐れなどから簡単には「脱会」できないのである」38つまり、忌避という教理が脱会を妨げると分析しているのです。

忌避が脱会を困難にする理由は人道的な問題を生じるからです。一般的に、エホバの証人は多くの時間を集会や奉仕で費やすことを要求され、その時間を過ごす過程で濃密な人間関係を築いている。宗教団体内の関係ではあっても、信者ひとりひとりからすれば社会や他者とのつながりである。忌避とはこれらの関係を完全に教団によって断ち切られるという意味であり、個人の精神的健全性に多大な影響を及ぼすことになるからです。

忌避の取り扱いに関して、他国の状況ではあるが、2022年12月、ノルウェーは、「忌避」という教理がこのような人道的な問題を生じることを理由にエホバの証人の宗教法人格を取り消すと発表しました。これに対しエホバの証人側が反対しているなどの報道がなされています39

なお、一般にはわかりにくいものの、不活発(別項)と排斥・断絶の取り扱いは大きく異なります。教団は、不活発な信者(「霊的に弱っている」と表現される)とは交流を禁じていませんし、長老が不活発な信者を訪問するなど復帰を促します。そのため、不活発な信者は村八分されませんし、不活発な信者を励ますような教団文書も存在します40

大学進学の自由を認めないのは本当か?なぜそう指導するのか?

教団は出版物で信者に高等教育を推奨していません414243。この背景には、もうすぐハルマゲドンが来てこの世で必要なことはいらなくなるからという見方があります。

教団は出版物においては禁止まではしてはいないと思われますが、実際の会衆内での運用は別です。というのは、組織への批判は絶対的タブーであり(神権組織の項参照)、会衆内の濃密な人間関係から「模範的」であることが良しとされ(会衆の項参照)、開拓奉仕などで多くの時間を費やすことを組織が推奨しており(開拓者の項参照)、また上記の通り大学に行くことは推奨されていないことから、会衆内では大学に行くことは少なくとも模範的なことではありません。むしろ、この世での収入を確保しようとしたりする手段であるために否定的にみる長老や巡回監督などの指導者がおり、また実際に指導を行ったことは、以下の調査結果から間違いがないでしょう。

2022年の調査では元信者により「大学進学を止めるよう教団内の指導的立場の人間から圧力をかけられた」「大学進学ができなかった」とする証言がなされています44その他にもマスコミ報道などで大学進学が出来なかったとする声は多数上がっています4546

結果として、米国のデータにはなるが、全体的に見てもエホバの証人の進学率は低く、学士号を持つ信者は9%にとどまる47。同調査によれば、高等教育の機会を奪われた結果、信者の職業選択の幅が狭くなり、高所得の職業に就くことが難しくなるという問題が指摘されています48

なお、児童が大学教育を含む高等教育を妨げられた場合、児童虐待に該当するおそれがある49

「教団組織が神の意思の唯一の伝達機関」とする教理、その意味は?

社会学者の山口瑞穂氏によれば、教団は、信者と神が直接結びつくことを否定する一方、神の意思が教団組織(統治体)に伝達され、出版物を経由して信者に届くと言います。このように教団組織への忠節を求める理由について、預言(ハルマゲドン)の失敗の度に信者の離反を防ぐために、教団組織を神聖化し教団組織への忠節を目的とする教理(ハルマゲドンでの信者救済を目的としない)となったと分析されています。このような教団組織を神聖化するロジックによって預言の失敗による離脱者増加の回避が図られてきました50

補足すると、これまで約百年間に渡りハルマゲドン預言が度々外れたのですが、外れる度に期待していた信者が離反するのです。これを防ぐために、ハルマゲドンによる救済を第一とした教理を変えて、組織(統治体)への忠節を第一とする教理に変容したのです。こうした教理に変化したため、神権組織の項で述べた通りこの組織への批判は出来ません。そのため、組織やその出版物、また組織により近い指導者である巡回監督や長老の権威が増す構造になり、これらに異を唱えることが一切許されなくなります(組織に批判的なことを述べた場合は「背教者」という汚名を着せられた上で排斥処分になる)

このような権威主義的な組織であるがゆえに、一般社会では自由かつ健全とされる批判・批評はできないのです。例えば、教団は聖書の原典よりも統治体の方針を優先するのですがこれにも批判できません。エホバの証人が拠り所とするのは聖書ではあるものの、その聖書は統治体が翻訳したとされる新世界訳(別項)です。聖書の原典(聖書はヘブライ語、ギリシャ語で書かれた)に遡って聖書原典が言わんとするところを忠実に解釈しようとすることは一般社会では自由かつ健全な批判精神であり、特に学術界では真理に迫るものとして歓迎されるが、エホバの証人組織ではこれは一切できません。信者は統治体の翻訳したとする新世界訳聖書とその出版物にのみに基づいて教えられ、これに対する批判は一切許されないばかりか、聖書の原典をたどって異なる解釈を唱えるなどの健全は批判精神も禁止されます。組織への批判は排斥事由であり、信者は排斥による忌避を恐れて批判できません。

上記のように聖書の解釈に関するものの他、最新の科学的知見なども教団には意味がありません。例えば、人間がどのように誕生するようになったかについて、かつては一般社会でも創造説による宗教的説明がなされていましたが、現在では進化論が支配的であり証拠による説明力も高いとされます。宗教的説明は徐々に役割を変え(一部は役割を終え)、それと共に一般的宗教は信者に深い関わりを求めなくなるなど役割を変容させています。しかし、エホバの証人は変わらない。統治体の言う創造説を絶対とし、変わらず信者に深い関わりを求めます。これは、組織への批判者をすべて排斥と忌避により排除できるシステムによるものであり、統治体自らの正当化を図るものです。

なお、統治体の神格化の根拠については、統治体はハッキリとした聖書上の根拠を示していないと思われます。すなわち、その神格化の根拠も統治体自身の主張に過ぎず、言わば自作自演と言える、ということです(もちろん、統治体の根拠に関して教団内で指摘することは排斥理由になる)。

信者に脱会者のWEBサイトへのアクセスを禁じる(情報統制)のは本当か?

社会学者の山口瑞穂氏によると、教団はかつて「背教的な情報があふれている」として信者がインターネットを使用すること自体に否定的な指導を行っていた。インターネットで他人と接触することを危険視するアナウンスが教団内で繰り返されてきた。インターネット上に存在する情報に接触することは「霊的な死」とされ、信者の心理的なハードルを高くしているという51

この教理の影響により、現役信者が特にハードルが高いと感じるのは、脱会者が書いた情報に接することです。忌避の項で記載したように、排斥や断絶をした脱会者(エホバの証人は「背教者」という)は無視されるなどの制裁に遭うが、現役信者は「背教者の書いたWEBサイトにもアクセスしてはいけない」と指導されています(例えば、教団資料「背教から自分を守ってください」には「背教的えにしてどのように反応すべきでしょうか。それらをなしましょう。してんだり,返信したり,えたりしてはなりません。エホバや組織いをかせるようにられている情報素早見抜き,退けましょう」と書いている)。つまり、現実の接触はもちろん、彼らの文章にふれることも禁止されています。

実際に脱会者が最初に直面するのは、このような情報(脱会者の書いたWEBサイト等)にアクセスしても良いかどうかの葛藤です。上記のように「背教的な情報があるため見てはいけない」と教えられているため、信者は組織が禁じたものに対して非常に大きな葛藤を感じます。排斥への恐れもある。様々な文献で、教団が脱会を難しいものにしていると分析される理由はここにも見られます。

また、大学教育非推奨も情報統制の側面があります。つまり、一般的に大学では学問を通じて自由かつ健全な批判的精神を学びます。例えば、聖書の原典に遡ってそこから新たな知見を得ることは大学では通常の研究活動です。しかし、神権組織の項で述べた通り、信者は組織への批判は絶対にできません。つまり、信者が大学に行けば教理(統治体の主張)に批判的な思考を持ってしまう危険性を孕(はら)み、教団の秩序を破壊することに繋がりかねない。このような観点から、教団が大学を推奨しないことには教団にメリットがあると言えます。

組織に批判的な情報は「ウソである」と信者に教えるのは本当か?

2022年、エホバの証人にも世間の注目が集まるようになり、その多くが鞭などの児童虐待に関する批判的なものでした。これに対して教団は、ものみの塔2022年11月号「どんなことがあってもエホバから離れないようにしましょう」で「エホバの証人敵対するたちは,メディアやインターネットを使って,エホバの組織責任ねられている兄弟たちについてのうそをめます」と書いています。またこの記事内でも「エホバと組織を心から信頼する」という項目を立てて統治体の神格化をきめ細やかに図っている。

また、エホバの証人の『ものみの塔誌 2022年11月号』において「サタンはメディアやインターネットを使用してエホバの証人幹部についてのうそを広める」旨が明記されました。

このような記述は信者には重大な意味を持ちます。すでに触れた通り統治体は神格化されており批判は一切許されません。そのため、出版物で「ウソ」と言われれば、一般社会では真実の情報でも教団内では「ウソ」です。さらに「ウソ」という教団主張に対する批判も許されません。批判すれば「背教者」とされ排斥されるからです。

つまり、教団を批判するマスコミ報道等がいかに真実であったとしても、信者は「ウソ」と信じなければならないのです。また、信者同士でマスコミ報道についての会話をするとしてもウソであることを前提として話さなければなりません。信者がマスコミ報道を真実として内心では認めていても公言できない。それは統治体批判を内在することになり、排斥理由になるからです。

そこで一般の方々に知っていただきたいのは、世間でいかにエホバの証人に関する批判的な報道がなされようと、信者はそのニュースを知らないことにしなければならない、ということです。ニュースを見てしまったが会衆では話題に出来ない、世間では批判されているのを知っているが、組織内ではないことになっています。末端の信者はそのような状況にさらされており、教団を変えようとして信者に対して何らかの働きかけをするのは無駄だということです。

ハルマゲドンとは何か?その教えの児童虐待の可能性は?

ハルマゲドンは「この世の終わり」のことを指します。エホバが悪魔サタンに支配されたこの世を終わらせエホバの支配下に置く際、この世を終わらせるために必要なのが「ハルマゲドン」であり、「ハルマゲドンの戦争」「ハルマゲドンの裁き」などとも表記されますが同じ意味です。空から火が降ってきて、エホバの証人以外を選択的に殺害し、エホバの証人だけは生き残ると信者は信じています。

ハルマゲドンの教理を児童に刷り込むことは児童虐待である可能性が高いです。上記の通り、エホバの証人の教理の中核はハルマゲドンを生き残って神の楽園に行くことであり、逆に言えばハルマゲドンで滅ぼされないことである。教団は集会や聖書研究においてそう教えるし、親信者は当然「集会に行かないとハルマゲドンで滅ぼされる」と子どもに教える。

一方、「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A(厚労省、22年12月)」の問3−1には、「「滅ぼされる」などの言葉や恐怖をあおる映像・資料を用いて(中略)、恐怖の刷り込みを行うことは心理的虐待に当たる」としている。

上記から、親が子に「エホバに従わなければハルマゲドンで滅ぼされる」と教えるのは心理的虐待であるのは間違いがありません。教団は聖書研究や週2回の集会及び大会への参加を通じて、「エホバに従わなければハルマゲドンで滅ぼされる」とする教理を繰り返し学習することを求めており刷り込んでいると言えますが、親ではないため法律上の保護者ではありません(児童虐待の防止等に関する法律第1条)。そのため、教団については法律が適用できず野放しの状態にあると言えます。

神の楽園(地上の楽園)とは何か?

ハルマゲドンによりサタンの支配するこの世を終わらせた後に来る、エホバの証人だけの地球上の世界のことを「神の楽園」という(「地上の楽園」とも言う)。楽園では不老不死になるとされる(永遠に生きられる)。エホバの証人はこの「楽園」を目指しており、この世での人生を楽園に入るための期間と捉えています。楽園ではこの世で生じる戦争、犯罪、不平等などがなくなるとされ、エホバの証人だけがエホバを崇拝して生活するとされます。

つまり、信者はこの楽園に行くという報酬を得るために、この世での人生を捨てて教理に忠実に生きるように教えられますし、実際に本気で生きようとします。信者がふさわしくない行動を取ると他の信者から「楽園に行けないよ」などと声掛けを受けるのですが、これは信者間では冗談でも何でもなく、真剣な警告として発され、また受け取られます。

宗教行事への参加、寺社への参拝、国歌・校歌の斉唱等が出来ないのはなぜか?

エホバ神は唯一神です。唯一神とは、エホバ以外でこの世で神とされているものは神ではない、という意味です。教団は、出版物等で他の宗教を「偽の宗教(「大いなるバビロン」とも言う)」と断定しており、神を喜ばせたいのなら偽りの宗教と関係を絶たなければならない、と信者に教えています52

このような教理の結果、神社や寺での参拝、国旗への敬礼、国歌や校歌の斉唱はできない、などの教理につながっています。エホバ以外を崇拝することになるからである。これは排斥事由です。

なお、児童本人が学校行事等に参加することを希望しているにもかかわらず、児童に対する適切な養育の確保や教育機会の確保等を考慮せず参加を制限する行為は児童虐待に該当するおそれがあります53

自由な脱会を妨げる、は本当か?

忌避の項で述べた通り、教団は脱会者(排斥者・断絶者)に対して極めて厳しい制裁を課し、制裁により脱会者はそれまで培った人間関係を含む教団関連の社会とのつながりを全て絶たれます。教団で過ごした時間が長いほど、また熱心な信者であるほど、そのダメージは大きいです54

このような脱会によるダメージを高める教理は自由な脱会を妨げているという分析が過去にもなされています。例えば、龍谷大学教授の猪瀬優里氏によれば、「『教団から離れたら不幸になる』などの脅迫を含む教理や、『脱会者との会話の禁止』などの教団側から関係を断つ組織的構造が脱会を妨げていると指摘し、このような特徴を持った教団の場合、信者が離脱の意志を持っても、教理への恐怖や人間関係を失う恐れなどから簡単には「脱会」できないのである」と指摘しています55、とする。

また、同猪瀬氏によれば、「伝道や集会に欠かさず出る、輸血を拒否するなど、正しいエホバの証人として行為しないと、「ハルマゲドンが来たときに滅ぼされる」と言われ、また、正しい行為をしなかった場合、「霊性が低い」とされ、ハルマゲドンで生き残る可能性が低くなるばかりでなく、会衆内から非難される可能性が高い56」とも述べている。

なお、自由な脱会の妨げは憲法で保証された信教の自由を害するのみならず、児童虐待に該当するおそれがある57

教理は「強制」されていると言えるのか?教団は「個人の自由」と主張しているが

二世信者は鞭、集会、学校行事への不参加等の教団教理を「強制された」と証言することが多い一方、教団は「従う/従わないのは個人の自由」とする趣旨の事をマスコミへの取材に対して述べている。この背景には何があるのでしょうか?

辞書によれば、強制とは「相手が快諾しない物事を有無を言わせずに押し付けること」です。二世信者はそもそも親によって教団に連れてこられ鞭を受けるなどされており、「快諾しない物事」を押し付けられています。また、教団では教理批判、組織批判はできないから「有無を言わせずに押し付ける」と言える。辞書の文言通り解釈すれば教団のしていることは「強制」です。

脱会は自由なのか?「イヤなら教団をやめれば良い」「やめて自分の信教の自由を行使すれば良い」とも考えられるものの、この教団の脱会が困難であることは他の項目で説明した通りです。前述の通り、排斥や断絶には忌避という大きな制裁があり、これは教団によってそれまで培った人間関係を全て失わせられるからです。これは二世信者でも同様であるが、そもそも子は親より立場が弱く未熟である上、親によって連れてこられたために脱会に際しては親の状況も考慮に入れなければならず、その脱会は一世信者よりもますます困難と言えます。

つまり、教団は、脱会のハードルを極めて高く設定した上で教理を強制し、対外的には「従う/従わないのは個人の自由」と広報して潔白を主張している、と言えます。このようなことが二世信者の証言と教団の主張との食い違いを生んでおり、一般社会の理解を難しくしているのです。

ハルマゲドン預言が変わっているのは本当か?

預言はどう変わったか?

教団は設立以来約100年に渡って「近い将来ハルマゲドンが来る」と言い続けて信者を伝道等に動員してきましたが、その預言を外し続けてきました。元統治体メンバーのフランズによれば、「エホバの証人の創始者チャールズ・テイズ・ラッセルは様々な年代預言をしたが一つとして当たったものはない」のです58

このことは第三者にも分析されています。社会学者の山口瑞穂氏によると、ハルマゲドン(全地球的な規模の裁き)の年代預言を以下のように度々変更しています59

  • 基本的には、1914年を始点として「一世代」が過ぎるうちに、ハルマゲドンが来るとしていた。
  • 前記「一世代」を30〜40年として、1940年代から1950年代前半にハルマゲドンが来るとしていた。
  • 1950年代には、1914年+70〜80年後にハルマゲドンが来るとしていた。
  • 1966年には1975年にハルマゲドンが来るとしていた。
  • 1980年代には1914年に生きていた「一世代」が存命中にハルマゲドンが来るとしていた。
  • 1995年頃には、計算が不可能として、現在ではいつ来るかわからないものとなっている。

預言の変遷に関する教団の立場は?

教団は出版物において「エホバの証人が教理上の見解の根拠としているのは、聖書です。それで、聖書の理解が深まると、教理上の見解を変更することがあります」としています60

一方、内実を知る元統治体メンバーのフランズは、預言の変更に関する教団の解釈について「疑問を差し挟む者は神に文句を言うものであるとしてこれを(預言の変更に異を唱える信者を)攻撃対象にしている」と述べています。実際に、フランズも教義について疑問を持ったことをきっかけに排斥されました。

社会科学者の山口瑞穂氏は、ハルマゲドンの預言が外れると当然信者が離反するために、ハルマゲドン預言以外のもので信者を繋ぎ止めないといけないという教団の事情を分析した上で「年代預言の失敗・更新・喧伝が繰り返されるうちに、(預言が外れることによる信者の離反を防ぐために)組織の正当化が先鋭化した」としています61

預言の変遷が信者に与える影響は?

予定していたハルマゲドンが来ないことによる信者の経済的な問題や孤独などの心理的問題が生じる事が多い。まず経済的問題であるが、信者はハルマゲドンを通過して楽園に行くことを目的として信仰を継続しています。また教団組織もこれを推奨しているために、例えばパートタイムの仕事を選んだり、中には会社を辞めたりして開拓奉仕をする者もいます。また、「ハルマゲドンが来るから大学は必要ない」などという働きかけを幹部信者や親から受け、進学を諦める2世信者がいます62ことは別項で述べた。経済的問題が生じるのも当然と言えます。

また、職業選択だけでなく、結婚をしない信者、子どもを持たない選択をする信者も多いのです。一見すると、ハルマゲドンは子どもや配偶者を持たない理由にはならないが、信者はこの世での栄達や幸せよりも楽園に行くためにこの世での人生を捧げることを優先します。つまり、「結婚したら配偶者を養わなくては行けないから開拓奉仕ができない」、「子どもを養わなければならないから開拓奉仕が出来ない」と考えるのです。そうして独身を貫いた末に教団から離れた場合には、人間関係の全てを断たれ、孤独などの心理的問題が生じるのです。

このように、預言をもとに進路やライフイベントに関する意思決定をしたにもかかわらず、預言されていた終わりが来ないため、その後に問題が生じることがあるのは当然です。

ものみの塔とは?

ものみの塔とは、エホバの証人が使う定期刊行物の名称です。紙媒体の場合には、略B5サイズで概ね30ページ程度の冊子になる。紙媒体、電子媒体の2通りある。

信者は、毎週日曜日には「ものみの塔研究」と称した会合を行う。会合は司会者がものみの塔に記載されている質問を読み上げ、挙手した信者のうち司会者に指名された者が「ものみの塔」に記載された答えを読み上げる形式である。

なお、エホバの証人の法人登記名は「ものみの塔聖書冊子協会」である。

信者はどのような活動をしているのか?

主の記念式とは?

年に一度、イエス・キリストのなくなった日に行われる記念の式。2時間程度の会合が行われます。賛美の歌や祈りで始まり、講演と儀式を実施して終わる。広く公開して行うものとされ、教団は信者を動員して普段集会に来ない人(例えば、信者の配偶者や友人など)に参加するように勧誘します。

集会とは?どのくらい時間を費やしているか?

集会とは、週2回、それぞれ2時間程度で開催される会合のことです。賛美の歌や祈りで始まり、終わります。以下のように、曜日ごとに趣の異なる講演等がなされる。主に土日に行われるのが、公開講演とものみの塔研究です(2時間程度)。平日に行われるのが神権宣教学校、奉仕会、書籍研究等です(2時間程度、時代により変わる)。

信者はこの集会に参加しなければ「霊的に弱っている」「不活発」とみなされ、長老から「牧羊」と呼ばれる指導を受けることがあるのは開拓奉仕と同じです。そのため、集会への出席は必要と考える信者がほとんどです。生活の中での優先順位は極めて高いです。信者にとって仕事よりも優先順位は高く、集会出席のできるパートタイムの仕事を選ぶことが模範的とされます。

集会への参加に要する時間は以下の様なものです。集会への参加の前には予習をすることが推奨されています。例えば、ものみの塔(冊子、別項)を事前に読み、要点に線を引くなどして、出席した際にコメントできる準備をします。この準備には集会ごとに1時間程度を要する。そのため、週に2時間程度の準備が必要です。

また、神権戦宣教学校では、男性信者は5分程度の講演、女性信者は5分程度の実演をします(「割り当て」と呼ばれる)。この割り当ての準備のため、信者は原稿を用意し、練習して本番を迎えます。この準備は1回あたり1時間以上かかると思われます。

信者が費やす時間は次のように試算できます。最低限の集会出席に信者は週に6時間以上の時間を要する。月に換算すると約26時間、年間に約313時間を費やすことになります。。これに割り当てが加わる。年に4回あるとして、4回×1時間=4時間が加わり、317時間となります。

なお、集会に児童を参加させた場合には児童虐待に該当するおそれがある63

大会とは?

年に一度のペースで開催される大規模(例えば、九州などの単位で行われる)な「地域大会」と、年に2,3度のペースで行われるより小さな規模(例えば、福岡第一巡回区などの区域ごとに行われる)の「巡回大会」があります。

地域大会は主に夏に3、4日間開催されることが多いです。開催時間は概ね朝9時〜17時(休憩1時間)です。集会同様に優先順位は高く、会社や学校を休む信者もいます。2023年の大会では、教団は大会会場に来て参加するように求めており(いわゆるリアル参加)、学校や会社を休むように暗に奨励している。地域大会に信者が費やす時間は、3日間×10時間(移動時間含む)=30時間/年です。

巡回大会は、地域大会以外の季節に行われる。年に2回、1日または2日間開催される。開催時間は地域大会と同じである。信者が費やす時間としては、1日×10時間=10時間/年である。

なお、大会に児童を参加させた場合には児童虐待に該当するおそれがある64

奉仕とは?

奉仕とは、伝道活動(布教活動)のことである。以下のように色々なやり方があります。

「家から家」と呼ばれる奉仕は、個別宅のインターホンを鳴らして訪問し、勧誘行為をすることです。「カート奉仕」と呼ばれるのは、駅前などの人通りの多いところに車輪付きで移動させやすい看板を置き、その周辺で通行人に声をかけて勧誘をすることです。「電話証言」と呼ばれるのは、電話番号のリスト(タウンページなどが使われる)に基づいて電話をかけて勧誘行為を行うものです。その他、友人や知り合いに勧誘をすること(「証言」とも言う)も広い意味では奉仕に当たります。

すべての伝道者は「奉仕報告」と呼ばれる書類を教団(会衆の長老や援助奉仕者)に提出しなければなりません。時間は会衆単位、日本支部単位、世界本部で集計される。世界本部は全世界でどの程度の時間が奉仕に費やされたのか管理しています。

なお、奉仕活動に児童を参加させた場合には児童虐待に該当するおそれがある65

証言とは?

証言とは、友人や学校の先生などに自分がエホバの証人であることを告白することを言う。告白するだけでなく、勧誘を行うことも含む。

二世信者が証言をする目的は学校行事への不参加のため等である。エホバの証人は学校行事への制約がある。例えば、教理のために国歌・校歌斉唱も、そのための起立もしない。また、教理に反するスポーツ(例えば柔道などは戦いになるため教理に反するという)もしない。さらに、友人関係においても誕生日イベントに参加出来ないし、クリスマスイベントに参加できない。二世信者はこうした学校行事に参加できない理由を説明し、先生に然るべき処置をとってもらうことが必要であり、その目的で証言を行う。

なお、児童本人の意思を考慮せず他者に対して信仰する宗教等を明らかにすることを強制する行為は児童虐待に該当するおそれがある66
また、児童本人が学校行事等に参加することを希望しているにもかかわらず、児童に対する適切な養育の確保や教育機会の確保等を考慮せず参加を制限する行為は児童虐待に該当するおそれがある67

教団の利用する施設はどのようなものがあるか?

王国会館とは?

会衆が集会で利用する施設を「王国会館」と言う。王国会館は、信者の寄付によって建てられる。

大会ホールとは?

エホバの証人の大会を行うための専用施設。

RBC(地区建設委員会)とは?

大会ホールや王国会館を立てるための組織。信者が建設プロジェクトにボランティアで参加する。

教団内の用語についての解説

以下では、主に教団内で使用される用語を簡単に解説します。また、教理の中でも一般人が教団を理解するのに重要性が低いものをここで解説します。

新世界訳聖書とは?どんな批判があるのか?

新世界訳聖書とは、エホバの証人の独自の聖書。統治体による解釈による聖書である。統治体は聖書の原典に忠実であると主張している。

教団外部からは様々な批判がされている。批判等については詳しくはWikipediaを参考にされたい。

ベテルとは?

「神の家」という意味のヘブライ語。エホバの証人がベテルという時は、神奈川県にある日本支部や、米国ニューヨーク州にある世界本部を指す。

特権とは?

男性であればベテルでの業務に従事したり、長老、援助奉仕者の業務、開拓奉仕などを教団内では「特権」と言う。

霊性が高い/低い とは?

組織の教義に忠実で、特権を多く実施する人は「霊性が高い」と言われる。一方、評判が芳しくない人物は「霊性が低い」と言われる。

「励まされる」「つまづく」

信者は会衆内で模範的な行為をすると他の信者に評価されるが、この際に「励まされました」という表現を使う。

逆に、排斥事由ではないが好ましくないとされる行為をした場合には「つまづきました」等という表現で本人に言ったり、長老に通報されたりする。好ましくない事項には様々なものがあり、例えば、女性信者のスカートが短かいこと、二世信者が大学に進学したことやフルタイムの仕事に就いたことなどがそれに当たる。統治体の指導は絶対であるため、同調圧力は非常に強い。また、他人の行動に依存した感情を持つ人が多い。

「エホバだわ」「ご意思ですね」

信者同士の会話では、何か良いことがあるとエホバのおかげとなる。「(◯◯が起こったのは)エホバだわ(のおかげ)」、「(◯◯が起こったのは)神のご意思ですね」等と会話する。

「エホバは耐えられる以上の試練を与えない」「よく祈ってください」

上記は、信者が災難に見舞われるた際に他の信者にかけられる言葉である。文字通りの意味であり、信者同士で励まそうとする際に用いられる表現である。

不道徳とは?

エホバの証人は結婚するまで性行為(淫行とも言う)をしてはいけないが、また結婚後に配偶者以外と性行為(姦淫とも言う)をしてはいけない。信者は総じて「不道徳」という言葉で表現する。この不道徳には、例えばマスターベーションやポルノを見ることが含まれる。排斥事由である。

偶像崇拝とは?

エホバ以外の対象を崇拝すること(例えば神社への参拝)。国旗への敬礼なども含めて排斥事由である。

復活とは?

ハルマゲドン前に死んだ者は、ハルマゲドン後の地上で蘇り(文字通り、地上で肉体として生き返る)、その後、エホバの証人になるかならないかを試される。その際に蘇ることを「復活」という。

信者は復活に関する教理を信じており、例えば、日本人の信者では「楽園になったら歴史上の人物の中で誰に会ってみたい?」「織田信長!」などという会話がなされることがある。

教団の沿革(教団に関連して起こった社会的事象を中心に)

出典

  1. 脱会プロセスとその後 : ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に、猪瀬 優理、宗教と社会2002 年 8 巻 p. 19-37
  2. 近現代日本とエホバの証人,山口瑞穂,法蔵館,2022年
  3. 統治体によるアナウンスで「終わりの日の最後の最後の最後」と言っている。The final part of the last days of the final part of the final part before the last day of last day!
  4. 近現代日本とエホバの証人,山口瑞穂,法蔵館,2022年,P123
  5. 近現代日本とエホバの証人,山口瑞穂,法蔵館,2022年,P123
  6. 近現代日本とエホバの証人,山口瑞穂,法蔵館,2022年,P64
  7. エホバの証人の使う聖書(新世界訳)には様々な批判がある。さらに詳細にはこちらをご覧ください。
  8. 神戸大学の資料に詳しい
  9. 参考としてカルトの集団自殺,Wikipedia
  10. Wikipediaによるエホバの証人の解説を参照
  11. 22年1月現在、取り消し手続きについて教団が争っている
  12. 「カルトとスピリチュアリティ」櫻井義秀編著,P116,第3章・猪瀬優里氏の論文タイトルは「脱会過程の諸相」
  13. エホバの証人の統治体とは何ですか,教団ホームページ
  14. 良心の危機,レイモンド・フランズ,せせらぎ出版,2001年,P69
  15. 良心の危機,レイモンド・フランズ,せせらぎ出版,2001年,P56
  16. 良心の危機,レイモンド・フランズ,せせらぎ出版,2001年,P65、66
  17. エホバの証人教理の最重要機関紙『ものみの塔誌 2022年11月号』において「サタンはメディアやインターネットを使用してエホバの証人幹部についてのうそを広める」旨が明記された。
  18. 「カルトとスピリチュアリティ」櫻井義秀編著,P116,第3章・猪瀬優里氏の論文タイトルは「脱会過程の諸相」
  19. 脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実エホバの証人と出会い、家族がばらばらに,東洋経済オンライン
  20. 教団動画ロバート・P・ジョンソン:若い時に献身し,エホバに仕え続ける
  21. 教団動画,M・スティーブン・レット:若い皆さん エホバと共に将来を築きましょう!
  22. 教団資料,若い時に賢明な選択をする
  23. 教団をカルトと指定した国についてはWikipedia参照
  24. 櫻井義秀,「カルト」問題と社会秩序 (2) : 脱会カウンセリングと信教の自由,北海道大学文学研究科紀要, 117, 109-157
  25. エホバの証人教理の最重要機関紙『ものみの塔誌 2022年11月号』において「サタンはメディアやインターネットを使用してエホバの証人幹部についてのうそを広める」旨が明記された。
  26. 『宗教2世』当事者1,131人への実態調査,チキラボ,2022年
  27. 『解毒 エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記』角川書店、坂根真実、2016年。ISBN978-4-04-103709-6。
  28. “ムチを打てない人は「子どもをサタンから守れない人」 “エホバの証人”元二世が明かす異常な“懲らしめ”の実態”. 文春オンライン
  29. 信者家族「たたかれた子」と親の間の埋まらない溝「信仰心による体罰」責任を負うのは親だけか,東洋経済オンライン,2022年
  30. 「親から体罰、希望していた受験もできず」 エホバの証人3世訴え,2022年11月7日,毎日新聞
  31. エホバの証人、子どもへの「むち打ち」はなぜ? 教団広報に聞く,2023年1月5日,毎日新聞
  32. エホバの証人による児童虐待を公式否定した教団広報に撤回と謝罪を求めます(Change.org),2022年
  33. 宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A,問2−1,問2−2,厚生労働省
  34. Leaving the Jehovah’s Witnesses: Identity, Transition and Recovery, HEATHER J RANSOM
  35. 脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実エホバの証人と出会い、家族がばらばらに,東洋経済オンライン,
  36. 『宗教2世』当事者1,131人への実態調査,チキラボ,2022年
  37. 脱会プロセスとその後 : ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に猪瀬優理、「宗教と社会」2002 年 8 巻 p. 19-37
  38. 脱会プロセスとその後 : ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に、猪瀬 優理、宗教と社会2002 年 8 巻 p. 19-37
  39. Jehovah’s Witnesses Norway lose registration religious community
  40. 教団文書「生活と奉仕 集会ワークブック」,2017年4月,「不活発なクリスチャンを励ます」
  41. 教団文書「高等教育はモラルや神様との関係を損ないかねない
  42. 教団文書「親の皆さん ― お子さんにどんな将来を望んでいますか
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  44. 『宗教2世』当事者1,131人への実態調査,チキラボ,2022年
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  49. 宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A,問4−3,厚生労働省
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