宗教虐待とは何か―国はどこから「信仰・しつけ」ではなく「児童虐待」と判断するのか―

親が自分の宗教を子どもに教えることは、それ自体が児童虐待なのでしょうか。もちろん、そうではありません。親には信教の自由があり、自分の価値観や宗教文化の中で子どもを育てることも、原則として尊重されます。

一方で、宗教行事に参加しない子どもをたたく、教えに従わなければ地獄に落ちるなどと繰り返し恐怖を与える、宗教上の理由から必要な医療を受けさせない、子どもの意思に反して長時間の宗教活動を強制し、学校生活などに重大な支障を生じさせるといった場合はどうでしょうか。

日本政府は2022年12月27日、初めて宗教を背景とする児童虐待への具体的な対応をまとめた「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」を公表しました。厚生労働省「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」

国が示した原則は明確です。宗教であるかどうかを判断するのではなく、その行為が子どもに何をもたらしているかを見る。つまり、問題となるのは「どの宗教を信じているか」ではありません。子どもの安全、健康、教育、発達、尊厳、自己決定が侵害されているかどうかなのです。

宗教虐待は、既存の児童虐待として判断される

日本の児童虐待防止法に「宗教虐待」という独立したカテゴリーが新設されたわけではありません。児童虐待には従来から、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待という分類があります。

2022年の厚生労働省Q&Aは、宗教を背景に行われる行為についても、この既存の児童虐待の基準を適用すると整理したものです。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

したがって、「宗教だから虐待になる」のではありません。反対に、「宗教上の行為だから虐待にはならない」わけでもありません。

厚労省は2022年10月から、児童相談所などに対し、宗教に関する事案だからという理由で消極的な対応を取らないよう求めていました。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

12月のQ&Aでは、宗教的背景があっても児童虐待の定義に該当する行為があれば、一時保護を含めて通常の児童虐待と同様に対応すべきだと整理されました。厚生労働省・児童虐待に関する法令・指針一覧

信仰の内容を評価する必要はありません。子どもに何が起きているのかを、児童虐待防止法に照らして判断すればよいのです。

身体的虐待と心理的虐待

宗教活動への参加を体罰によって強制する行為や、宗教的行事の中で、話を真面目に聞いていないことなどを理由に子どもをたたいたり、鞭で打ったりする行為は、身体的虐待となり得ます。厚生労働省Q&A全文

親が「子どもを愛しているから行った」「宗教的なしつけだった」と考えていたとしても、それだけで虐待性がなくなるわけではありません。現在の日本では、行為と子どもへの影響を基準に判断します。

また、一つ一つの行為だけを切り取れば軽微に見える場合でも、複数の行為が継続し、子どもに重大な影響を及ぼしていれば、全体として児童虐待と判断されることがあります。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

例えば、毎週長時間宗教活動に参加させる、友人関係を制限する、特定の学校行事への参加を認めない、宗教を疑うことへの強い恐怖を与えるといった行為です。

一つずつを見れば直ちに虐待とは言えない場合でも、その結果、学校生活に重大な支障が出る、社会的に孤立する、強い心理的苦痛が継続する、発達に重大な影響が生じるのであれば、総合的に判断する必要があります。

心理的虐待についても、宗教教義そのものを教えることが問題なのではありません。死後の世界、罪、神の裁き、救済などを教えることは、宗教教育の一部として行われ得ます。

問題になるのは、その教えを使って子どもに著しい心理的苦痛を与える場合です。例えば、**「従わなければ地獄に落ちる」「家族と永遠に会えなくなる」「悪魔に支配される」**といった恐怖を過度に利用し、子どもを従わせる行為などです。

ただし、「怖い宗教の話をしたら虐待」という意味ではありません。判断にあたっては、年齢、教え方、頻度、強制度、本人の心理状態、生活への影響などを総合的に見る必要があります。

厚労省Q&Aも、具体例を機械的に当てはめるのではなく、児童、保護者、生活環境などを総合的に見て、児童の側に立って判断することを求めています。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

医療、教育、宗教活動をめぐる問題

エホバの証人問題との関係で特に重要なのが、医療ネグレクトです。

子どもに輸血などの治療が医学的に必要であるにもかかわらず、保護者が宗教上の理由から拒否するケースでは、親の信教の自由と、子どもの生命に必要な医療を受ける権利を分けて考える必要があります。

2008年には日本輸血・細胞治療学会などが「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」を策定し、判断能力のない子どもの生命を守るため、必要に応じて児童相談所や司法制度を利用する考え方を示しました。

2022年のQ&A以降、宗教を背景として必要な治療を受けさせない行為についても、ネグレクトとして対応する考え方がより明確になっています。

2023~24年のこども家庭庁の調査研究でも、宗教を背景とする医療ネグレクトは生命に直結する可能性が高い問題として、全国の救命救急センター設置医療機関を対象とした調査が実施されました。(CFA Japan)

さらに、こども家庭庁は問題を宗教だけに限定せず、保護者の思想・信条等によって必要な医療への同意が得られないケースも検討しています。(CFA Japan)

理由が宗教、自然療法への強い信念、ワクチンに関する思想、医療そのものへの極端な不信であっても、子どもに必要な医療が受けられないという結果が同じなら、子どもの利益という観点から対応する必要があります。

布教活動や宗教行事への参加も、それだけで虐待になるわけではありません。親子で寺院や教会へ行く、宗教行事を手伝う、家庭の信仰活動に参加することは、多くの宗教家庭で行われています。

問題となるのは、本人の拒否を認めない、体罰や脅迫で参加させる、年齢に不相応な長時間活動をさせる、学校生活や睡眠・健康に重大な支障を生じさせる場合です。

進学についても、「親が大学進学に反対した」というだけで直ちに児童虐待とは言えません。経済的事情や家庭の方針など、さまざまな理由があるからです。

しかし、宗教を理由に義務教育を受けさせない、教育を受ける機会を著しく奪う、子どもの意思を完全に無視して重大な不利益を与えるといった場合には、教育を受ける権利の侵害として問題になる可能性があります。

特に高校では、宗教を背景とする問題が進路相談を契機として発見されやすいことが、こども家庭庁の調査から示唆されています。(CFA Japan)

学校と支援者が見るべきこと

学校は、宗教2世問題を発見できる重要な場所です。

2024年に公表された、こども家庭庁の「保護者による宗教の信仰等に起因する児童虐待に関する調査研究」は、本人からの相談だけでなく、言動や外見、進路相談などから学校側が問題を把握したケースがあることを示しています。こども家庭庁・調査研究報告書

一方で、子ども本人が自分の状態を虐待と認識していないため、早期発見が難しいという問題も指摘されています。(CFA Japan)

宗教2世は、その家庭しか知らないため、毎週宗教施設へ行く、一定時間布教する、特定の行事に参加しない、交友関係にルールがあるといった環境を「普通」と感じていることがあります。

だからといって、本人が問題と認識していないから介入してはいけないわけでも、直ちに「洗脳されている」と決めつけてよいわけでもありません。年齢、発達段階、健康状態、生活状況などを客観的に確認しながら、本人の意思を尊重する必要があります。

また、宗教2世にとって「もう宗教活動をしたくない」と言うことが、「親を裏切る」「家族と違う人間になる」「神に逆らう」という重大な意味を持つ場合があります。正式な信者になった後は、宗教を離れることが家族関係に影響する可能性もあります。

そのため、支援者は、本人が本当に自由に「やめたい」と言える状況なのかを確認する必要があります。ただし、行政や学校が「その宗教をやめなさい」と誘導することも適切ではありません。本人が信仰を続けたい場合、その信仰も尊重されるべきだからです。

相談を受けたときは、宗教名や教理を先に詳しく聞くよりも、生活に即した質問が有効です。

「家では何をしなければならないのか」
「嫌だと言ったらどうなるのか」
「どのくらい時間がかかるのか」
「学校や睡眠に影響しているのか」
「たたかれたり、怖いことを言われたりするのか」
「病院に行きたいのに行けないことはあるのか」
「今、一番困っていることは何か」

見るべきなのは、宗教の正しさではなく、安全か、食事や睡眠は確保されているか、学校へ通えているか、必要な医療を受けられているか、本人が著しい恐怖を感じていないか、年齢に応じた意思が尊重されているかという具体的な生活です。

宗教団体の責任と児童相談所の役割

児童虐待防止法でいう「児童虐待」の主体は原則として保護者ですが、第三者が、暴行、強制わいせつ、保護責任者遺棄などに該当する行為を保護者に指示・教唆した場合には、刑法上の共同正犯、教唆犯、幇助犯などが成立する可能性があります。必要に応じて警察への相談をためらうべきではないと、厚労省Q&Aは示しています。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

例えば、教団の幹部が親に「子どもをたたけ」と直接指示した場合と、親が出版物を自分なりに解釈して体罰を行った場合では、組織側の法的責任の問題が異なります。

そのため、宗教虐待問題では、教義、出版物、地域の指導、個々の宗教指導者の発言、親自身の判断を区別して記録する必要があります。一方、児童相談所の役割は、子どもを宗教から離脱させることではありません。子どもの安全と福祉を守ることです。

親子が同じ信仰を持ち、子ども自身も宗教活動を望み、生活や健康にも大きな問題がないのであれば、それを行政がやめさせる理由はありません。しかし、暴力、著しい心理的圧迫、医療拒否、教育機会の重大な剝奪などがあるなら、信仰の有無とは別に介入する。この線引きが重要です。

制度は整ったが、現場には課題が残る

こども家庭庁の2024年調査は、2022年のQ&Aを出して終わりではないことを示しました。

調査では、児童相談所や医療機関などで実際にどのような事案が発生しているのか、Q&Aがどの程度知られているのか、現場では何に困っているのかが確認されました。(CFA Japan)

学校ではQ&Aの内容を十分理解している割合が必ずしも高くなく、子ども本人が虐待と気付かないケースへの対応なども課題として残りました。(CFA Japan)

つまり、法律や通知ができることと、現場で実際に発見・支援できることの間には、まだ距離があります。

2025年に公表された調査研究では、宗教に限らず、保護者の思想信条等によって必要な医療を受けられない子どもの問題が改めて検討されました。これは、宗教虐待問題が「特定宗教の特殊問題」から、より一般的な、親の信念と子どもの権利が衝突したとき、社会はどうするかという子どもの権利問題へ広がっていることを示しています。(CFA Japan)

宗教教育と宗教虐待の境界

ここまでを簡潔に整理すると、次のようになります。

行為基本的な考え方
親が自分の宗教を子どもに教える原則として問題ではない
親子で宗教行事に参加する原則として問題ではない
宗教上の生活ルールを家庭で設ける内容・程度による
子どもが嫌がる宗教活動を強く要求する強制度・影響を見て判断
宗教活動を体罰で強制する身体的虐待になり得る
宗教的恐怖を用いて著しい心理的苦痛を与える心理的虐待になり得る
必要な医療を宗教上の理由で受けさせないネグレクトになり得る
学校教育を重大に妨げるネグレクト等として問題になり得る
宗教指導者が虐待行為を親に指示する刑事責任が問題になる可能性

境界線は、宗教かどうかではありません。その行為によって子どもの安全・健康・発達・権利がどの程度侵害されているかです。

「宗教虐待」という言葉は分かりやすい一方で、宗教そのものが虐待であるという誤解を生まないよう注意が必要です。

国の正式な文書が一貫して、**「宗教の信仰等に関係する児童虐待」**という表現を使っていることにも意味があります。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

問題なのは信仰ではなく、信仰を背景として行われる具体的な虐待行為だからです。

エホバの証人問題から見えること

エホバの証人を例にすれば、聖書を子どもに教える、親子で集会に参加する、布教活動に一緒に参加するというだけで虐待になるわけではありません。

一方で、集会中に静かにしないから鞭でたたく、宗教活動を拒否すると激しい恐怖を与える、子どもの生命に必要な輸血を親の信仰を理由に拒否するといった行為は、現在の行政基準では児童虐待となり得ます。

重要なのは、エホバの証人だから虐待ではなく、個々の行為を子どもの側から評価することです。

宗教2世の当事者が経験を語ったことで、親には信教の自由がある。しかし子どもにも別人格として権利があるという問題が明確になりました。

国は現在、宗教が正しいかどうかを判断せず、親が信仰を持つことも否定せず、子ども自身の信仰も尊重する一方で、子どもの生命、身体、健康、教育、発達、尊厳が侵害されるなら、宗教を理由に見過ごさないという方向を示しています。(Ministry of Health, Labour and Welfare)

この考え方は、特定宗教だけに向けられたものではありません。宗教であれ、思想であれ、教育方針であれ、親の信念と子どもの権利が衝突したとき、どこまで親の決定を尊重し、どこから社会が介入するのか

宗教虐待問題は、最終的にはその問いを日本社会に突き付けているのです。