「エホバの証人を辞めると、家族から口をきいてもらえなくなる」。
宗教2世や元信者の体験談では、このような話が繰り返し語られています。一方、現在のエホバの証人は公式サイトで、会衆から除かれた人を「完全に無視するわけではない」と説明し、同居家族については「夫婦や家族としての接し方は変わらない」としています(エホバの証人公式FAQ「エホバの証人ではなくなった人にどのように接していますか」)。
では、実際には何が教えられてきたのでしょうか。「辞める」と「排斥される」は同じなのでしょうか。家族との接触は本当に断たれるのでしょうか。そして、2024年に報じられた運用変更によって何が変わったのでしょうか。
この問題は、「昔も今も同じだった」「すでに全面的に緩和された」と単純に整理することはできません。教団自身の過去と現在の資料、学術研究、当事者調査を年代順に並べると、教義上の原則、信者向けの指導、家庭での実際の対応が必ずしも一致していなかったこと、また運用が時期によって変化してきたことが見えてきます。
目次
- 1 1.忌避・家族断絶がもたらす精神的影響
- 2 2.教団の教訓
- 3 3.1980年代の教団資料では、接触を断つことがかなり強く求められていた
- 4 4.同居家族と別居家族では、以前から扱いが違っていた
- 5 5.当事者からは、家族との実質的な断絶が多数報告されている
- 6 6.2016年の公式映像は、親が会衆から除かれた娘からの電話に出ない場面を描いた
- 7 7.なぜ排斥は、単なる「退会制度」とは違う問題になるのか
- 8 8.弁護団調査でも、離脱には長期間かかった人が多かった
- 9 9.宗教2世の場合、「バプテスマを何歳で受けたのか」が重要になる
- 10 10.「自分から断絶したのだから自己責任」という説明では不十分
- 11 11.そして2024年、教団の排斥制度に重要な変更が起きた
- 12 12.しかし2024年に「忌避がなくなった」わけではない
- 13 13.現在の公式FAQも、この新しい運用を反映している
- 14 14.排斥制度の歴史を整理すると
- 15 15.本当に重要なのは「話しかけてよいか」だけではない
- 16 16.「家族を失うかもしれない」という状況は、宗教を辞める自由に影響するのか
- 17 17.「会衆から除かれたから家族が切られた」という証言をどう扱うべきか
- 18 18.排斥問題を記録する意味
1.忌避・家族断絶がもたらす精神的影響
忌避の影響に関する学術研究
忌避は、単に「会話や食事の機会が減る」という対人関係上の変化にとどまりません。家族や友人、宗教共同体の大部分を同時に失う経験は、孤立感、悲嘆、罪悪感、恥、怒り、不安、抑うつなど、複数の心理的反応を引き起こす可能性があります。
社会科学では、社会的排除や所属集団からの拒絶が、心理的苦痛や自己評価、帰属意識に影響することが繰り返し研究されています。たとえば、Williamsの「社会的苦痛の基本的ニーズモデル」は、排除が所属感、自尊感情、コントロール感、意味の感覚を脅かすと論じています(Williams, 2009, Ostracism: The Power of Silence)。また、社会的拒絶に関する研究をまとめたGerberとWheelerは、拒絶が抑うつ、不安、攻撃性、自己調整の困難などと関連し得ることを示しています(Gerber & Wheeler, 2009, “On Being Rejected: A Meta-Analysis of Experimental Research on Rejection,” Psychological Bulletin, 135(4), 493–510)。
家族からの拒絶は、一般的な人間関係の拒絶よりも影響が大きくなりやすいと考えられます。家族は、愛情や所属感だけでなく、住居、経済、育児、介護、医療、緊急時の連絡など、生活上の支援を担うことが多いためです。家族との関係が宗教上の理由で制限される場合、本人は「自分が悪いから見捨てられた」と受け止めたり、家族を失った悲しみと信仰を離れたことへの罪悪感を同時に抱えたりすることがあります。
宗教からの離脱に関する研究でも、離脱後の困難は、教義への疑問だけではなく、社会的ネットワークの喪失やアイデンティティの再構築と結び付いていると指摘されています。Streibらの元信者研究は、宗教離脱後の人生を、単なる所属変更ではなく、世界観、自己理解、人間関係を再編成する過程として分析しています(Streib et al., 2009, Deconversion: Qualitative and Quantitative Results from Cross-Cultural Research in Germany and the United States of America)。日本のエホバの証人元信者を扱った猪瀬優理の研究も、離脱後に教団外の情報や人間関係を獲得し、生活を再構築する必要があることを示しています(猪瀬優理「脱会プロセスとその後」)。
ただし、これらの研究は、エホバの証人の忌避だけを対象にしたものではありません。社会的排除、宗教離脱、元信者の心理過程に関する一般的な知見を、忌避の経験を理解するための枠組みとして参照するものです。エホバの証人の元信者に特有の影響の頻度や程度を明らかにするには、当事者を対象とした継続的な心理学的・社会学的研究が必要です。
当事者の体験
弁護団調査や元信者の証言では、次のような経験が報告されています。
- 親に孫を会わせられない。
- きょうだいの結婚や家族の出来事を知らされない。
- 冠婚葬祭に参加できない。
- 同居家族からLINEをブロックされる。
- 電話やメールに応じてもらえない。
- 家族に連絡したい気持ちと、連絡すれば迷惑をかけるという罪悪感の間で揺れる。
- 家族から「サタンに影響された」「死んでも復活できない」といった趣旨の言葉を受け、恐怖や自己否定を感じる。
- 家族や友人を失った後、相談相手や緊急時に頼れる人がいなくなる。
- 宗教を離れた後も、集会や聖書、ハルマゲドンに関する恐怖が続く。
- 家族との関係を取り戻したい気持ちと、再び教団に戻ることへの恐れの間で葛藤する。
これらはすべての元信者に共通するわけではありません。家族が関係を維持する場合もあり、教団を離れた後に新しい人間関係を築き、精神的に安定する人もいます。しかし、忌避によって生じる苦痛は、本人の性格や「宗教を辞めたことへの後悔」だけで説明できるものではありません。長年にわたって形成された家族・友人関係が、宗教上の規範によって突然変化すること自体が、重大な喪失体験になり得ます。
支援者が当事者の話を聞く際には、「家族なのだから連絡すればよい」「もう大人なのだから気にしなければよい」と簡単に助言するのではなく、関係を失う恐怖、罪悪感、宗教的な終末観、生活上の依存関係を含めて理解する必要があります。また、希死念慮、自傷、重度の抑うつ、不眠、パニック、摂食の問題などがある場合には、宗教問題に理解のある医療・心理支援につなぐことが重要です。
2.教団の教訓
まず「辞めた人」と「会衆から除かれた人」は同じではない
最初に用語を整理する必要があります。
エホバの証人の現在の公式説明では、集会や布教活動に参加しなくなっただけで、その人を自動的に「辞めた人」や「会衆から除かれた人」と扱うわけではありません。活動から離れた人については、再び信仰を強められるよう援助する対象とされています(エホバの証人公式FAQ)。
一方、重大な罪を犯し、行動を改めないと判断された正式信者は、会衆から除かれることがあります。また、本人がエホバの証人との関係を明確に断つ意思を表明した場合は、「断絶」と呼ばれる扱いになることがあります。
過去には「排斥」という言葉が広く用いられていましたが、2024年8月号の『ものみの塔』では、今後は「排斥された」ではなく「会衆から除かれた」という表現を使用すると明記されました(「会衆から除かれた人を助ける」)。
したがって、「エホバの証人を辞めたら必ず排斥される」と説明するのは正確ではありません。ただし、正式にバプテスマを受けた信者が組織との関係を明確に断った場合などには、その後の信者との関係に大きな変化が生じる可能性があります。
ここで区別すべきなのは、少なくとも次の三つです。
- 活動から離れたが、正式な手続き上は会衆に属している人
- 自ら関係を断つ意思を表明した人
- 重大な罪を悔い改めないと判断され、会衆から除かれた人
日常会話ではこれらがすべて「辞めた人」と呼ばれることがありますが、教団内の扱いは同じではありません。
現在の教団の原則は「交友しない、一緒に食事をしない」
現在の公式FAQは、会衆から除かれた人について、聖書のコリント第一5章11節を根拠として、「交友を持たず、一緒に食事をしない」という原則を現在も維持しています(エホバの証人公式FAQ)。したがって、2026年現在も、「会衆から除かれた人との通常の友人関係をそのまま続ける」という教えになったわけではありません。
一方、同じFAQは、「完全に無視するというわけではない」とも説明しています。現在は、会衆から除かれた人が集会に来た場合、信者の中には挨拶しようと考える人もいる、とされています。
ここは、以前の運用と比較すると重要な変化です。ただし、「挨拶できる」「集会に招待できる」ということと、「以前と同じように家族や友人として交際できる」ということは別です。現在も、交友や一緒の食事を避けるという基本原則は残されています。
3.1980年代の教団資料では、接触を断つことがかなり強く求められていた
過去の出版物を見ると、厳しい表現を確認できます。1981年11月15日号の『ものみの塔』には、「もしも親族が排斥されたら……」という独立した記事があります(記事本文)。この記事では、家族への忠誠と神への忠誠が衝突する場合、神への忠誠を優先するという考え方が示されています。
同じ1981年号の「排斥―それに対する見方」では、会衆の清さを保つため、重大な罪を犯して悔い改めない者を排除することが正当化されています(記事本文)。
さらに、1988年4月15日号の『ものみの塔』は、排斥・断絶した元信者との接触について、非常に明確なメッセージを出しています。記事では、断絶した元信者が地域に戻ってきた際、信者たちがその人物と話をしなかった事例が紹介されています。また、排斥された親族との交わりを完全に絶つことを、神への忠節の試みとして肯定的に描く証言も掲載されています(『ものみの塔』1988年4月15日号「平和な実を生み出す懲らしめ」)。
この資料を踏まえると、「昔から、排斥された人を完全に無視してはいけないという現在と同じ運用だった」と理解するのは困難です。少なくとも1980年代の出版物には、会衆から除かれた人との接触を避けることを、信仰上の忠誠と結び付ける記述が確認できます。
ただし、出版物の記述がそのまま全家庭の行動を意味するわけではありません。教団資料は、信者に期待される規範を示すものです。実際の家庭でどの程度厳格に適用されたかは、家族構成、同居・別居の状況、地域の会衆、長老の指導、個々の信者の判断によって異なった可能性があります。
4.同居家族と別居家族では、以前から扱いが違っていた
排斥された家族すべてについて、家族関係を完全に断つよう教えていたわけでもありません。教団は長年、同居している家族と別居している家族を区別してきました。
現在も閲覧できる教団出版物「排斥された人にどう対応すべきか」では、排斥された人が同じ家で生活している場合、「家族としての日々の通常の活動や関係は続く」と説明されています(教団出版物)。ただし、宗教的な交流は行わないとされています。
一方、別居する親族については、過去の教団資料で接触を大幅に抑制する方向が示されてきました。教団自身の同ページも、別居親族への対応について、1981年11月15日号と1988年4月15日号を参照資料として挙げています。
つまり、「家族だから排斥の影響を受けない」わけでも、「家族関係は全面的に消滅する」わけでもありません。より正確には、同居か別居かによって、教団が許容してきた接触の範囲が大きく異なっていたということです。
この区別は、宗教2世の問題を考える上でも重要です。親と同居している未成年者の場合、生活上の会話や食事まで完全に断つことは現実的ではありません。しかし、成人した子どもが家を出て別居した後に信仰を離れた場合、同じ「家族」であっても、教団内の規範によって接触が大きく制限される可能性があります。
5.当事者からは、家族との実質的な断絶が多数報告されている
実際に元信者が経験した家族関係については、教団公式説明より厳しい状況が多数報告されています。
エホバの証人問題支援弁護団の「排斥・忌避に関する調査」では、親に孫を一度も会わせられない、きょうだいの結婚を知らされない、冠婚葬祭に参加できない、同居家族からLINEをブロックされた、メールできないと言われた、といった経験が記録されています(弁護団「排斥・忌避問題に関する考察」)。
ただし、この調査の性格には注意が必要です。弁護団調査は、全国の現役・元信者を無作為抽出した代表調査ではありません。そのため、個別の体験をすべての信者家庭に一般化することはできません。
一方で、多数の回答者から同種の家族断絶が報告されていることは、教団の排斥制度と家族関係の問題を検証する重要な資料になります。特に、家族との接触制限が単発の家庭内トラブルではなく、複数の回答者に共通して現れている点は、教団の規範や信者間の共有された理解との関係を検討する必要性を示しています。
ここでは、次の三つを区別することが重要です。
- 教団の公式出版物が何を求めているか。
- 長老や信者が現場でどのように説明しているか。
- 家族が実際にどのような行動を取ったか。
この三つは一致する場合もありますが、常に同じとは限りません。
6.2016年の公式映像は、親が会衆から除かれた娘からの電話に出ない場面を描いた
過去の教団内部メッセージを考える上で重要なのが、映像教材です。
弁護団は、2016年のエホバの証人の地域大会で使用された映像について、会衆から除かれた若い女性が家を出た後、両親に電話をかけても親が電話に出ず、親側からも連絡しない場面が描かれていると指摘しています(弁護団「排斥・忌避問題に関する考察」)。
この映像は、一般向けFAQとは異なる種類の資料です。FAQは外部の読者にも向けられた説明ですが、大会映像は主として信者に対して、望ましい行動や態度を示す教材として機能します。
そのため、一般向けには「同居家族としての関係は変わらない」と説明されていても、信者向け教材からは、「別居した会衆から除かれた家族との接触を避けることが、神への忠節である」という強いメッセージを受け取る可能性があります。
この問題では、一般向けFAQ、信者向け出版物、大会映像、長老などによる現場の指導、信者家庭での実際の行動を分けて検討する必要があります。資料の種類を区別しなければ、教団の公式見解と、信者が実際に受け取った規範的メッセージを混同してしまうからです。
7.なぜ排斥は、単なる「退会制度」とは違う問題になるのか
通常の組織であれば、会社を辞める、スポーツクラブを辞める、政党を辞めるとしても、家族まで失うことは通常ありません。
しかし宗教共同体では、家族、友人、結婚相手、地域社会、人生観の多くが、同じ共同体の中に存在することがあります。特に宗教2世の場合、幼少期から人間関係の中心が信者社会で形成されていれば、宗教を離れることは、信仰だけでなく社会的ネットワーク全体を失う可能性があります。
この点は、日本の学術研究でも早くから指摘されていました。猪瀬優理による2002年の実証研究「脱会プロセスとその後―ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に」は、元信者39名を分析し、エホバの証人からの離脱について、組織を離れるだけではなく、その後に世界観や人間関係を作り直す必要があると論じています(論文本文)。
この研究は、教団外の情報を得ること、教団外の人間関係を形成することが、認知的離脱やその後の生活再構築に重要だと分析しています。つまり、「辞める」という行為は一日で終了するものではなく、情報、関係、生活基盤を段階的に作り直すプロセスになり得ます。
この観点から見ると、家族との接触を失う可能性は、単なる感情的な負担ではありません。住居、経済、育児、介護、医療、冠婚葬祭など、生活上の支援関係にも影響する可能性があります。
8.弁護団調査でも、離脱には長期間かかった人が多かった
2023年の弁護団調査では、離脱経験者543人について、離脱を考えてから実際に離脱するまでの期間も尋ねています(弁護団「排斥・忌避問題に関する考察」)。
調査では、1年以内に離脱できた人は半数以下で、多くの回答者が1年以上を要していました。さらに、離脱を困難と感じた人に理由を尋ねると、弁護団は、家族関係が悪化することへの恐れが大きな要因だったと分析しています。
その他にも、一般社会の価値観に十分触れていないこと、経済上の問題、メンタルヘルス上の問題などが複合的に関係していました。つまり、次のような構造が生じ得ます。
教義に疑問を持つ
↓
辞めたいと思う
↓
家族を失うかもしれないと考える
↓
辞める決断をためらう
この点が、「宗教を信じる自由」だけでなく、「宗教をやめる自由」の問題として議論される理由です。
宗教を離れる自由が形式的に認められていても、離脱によって家族、友人、住居、経済的支援を失う可能性が高ければ、本人はその自由を現実には行使しにくくなります。法的な強制がなくても、社会的・心理的な圧力が意思決定に影響することはあり得ます。
9.宗教2世の場合、「バプテスマを何歳で受けたのか」が重要になる
排斥問題を考える上で、宗教2世に特有の問題がバプテスマです。
エホバの証人では、正式な信者になるためにバプテスマを受けます。弁護団調査では、多くの2世が幼少期から集会・布教に参加し、十代前半頃からバプテスマを勧められるケースが報告されています(弁護団「排斥・忌避問題」)。
ここで問題になるのは、13歳や14歳で行った宗教上の決定が、その後数十年間の家族関係に影響してよいのかという問いです。
もちろん、未成年者にも信教の自由があります。本人が十分理解した上で宗教を選択する自由を尊重することは重要です。しかし、幼少期からその宗教の世界だけで育ち、周囲の家族や友人も全員信者で、終末や救済に関する宗教教育を受け、バプテスマ後に離脱すると家族関係が変化する可能性があるという状況では、未成年者が将来の意味まで十分理解していたのかという問題が残ります。
ここで必要なのは、未成年者の宗教選択を一律に否定することではありません。むしろ、バプテスマを受ける前に、本人が次の点を理解できる環境があったかを検討することです。
- 将来、信仰を変えることもできるのか。
- 信仰を変えた場合、家族や友人との関係はどうなるのか。
- 会衆から除かれた場合、どのような接触制限が生じるのか。
- 宗教を離れた後も、学校、仕事、住居、医療などの支援を受けられるのか。
宗教上の決定を尊重するためにも、その決定を撤回・変更する自由について、十分な情報が提供されている必要があります。
10.「自分から断絶したのだから自己責任」という説明では不十分
排斥問題では、「本人が自分から辞めたのだから、その結果を受け入れるべきだ」という考え方もあります。
しかし、宗教を選択する自由には、宗教を変える自由、宗教をやめる自由も含まれます。特に幼少期に信仰を選択した人について、「一度正式信者になった以上、その後離脱すれば家族との接触を失うのは当然」とするのであれば、本人が事実上宗教を変更しにくくなる可能性があります。
したがって問題は、排斥制度そのものが存在してよいかだけではありません。その制度が、信者本人の自由な離脱意思にどの程度影響しているのかを検討する必要があります。
また、「断絶」と「会衆から除かれること」は、本人の意思の有無という点では異なりますが、家族や信者との関係に生じる結果が似る場合があります。本人が自ら関係を断った場合でも、信者側がその人との交友を避けるよう教えられていれば、実際の生活では「自分から辞めた人」と「会衆から除かれた人」の境界が曖昧になることがあります。
11.そして2024年、教団の排斥制度に重要な変更が起きた
2024年の変化を外すことはできません。2024年8月号の『ものみの塔』では、会衆から除かれた人への対応について、複数の記事を使って新しい説明が行われました(2024年8月号)。
まず、前述のように、「排斥された人」から「会衆から除かれた人」へ用語が変更されました(「会衆から除かれた人を助ける」)。さらに、会衆から除かれた人を集会へ招待するかどうかを、各信者が自分の良心に基づいて決められるようになりました。集会へ来た元信者に挨拶することについても、以前より柔軟な説明になっています。
これは、過去の「挨拶さえしない」という運用から見れば明確な変化です。ただし、用語変更と接触範囲の一部拡大を、制度全体の廃止と混同してはいけません。
12.しかし2024年に「忌避がなくなった」わけではない
2024年の変更を、「エホバの証人が排斥制度を廃止した」あるいは「家族や元信者との交流が自由になった」と理解するのは誤りです。
2024年の記事自身が、会衆から除かれた人とは交友を持たず、一緒に食事をしないという基本原則を維持しています(「会衆から除かれた人を助ける」)。
つまり、変わったのは次のような範囲です。
以前
排斥者との接触を非常に厳格に避ける
↓
挨拶もしないという強い運用
2024年以降
交友や食事は依然避ける
↓
しかし完全に無視する必要はない
↓
集会への招待や、集会での挨拶について一定の個人判断を認める
したがって、「制度の根本原理が消えた」のではなく、「接触可能な範囲が部分的に拡大した」と見る方が正確でしょう。
また、個人の良心に基づく判断が認められたとしても、教団の公式出版物が示す基本原則は、信者の判断に影響を与えます。形式上は自由な判断であっても、信者が「交友や食事を続ければ神に不忠実だ」と考えるなら、実際の選択肢は広がりにくい可能性があります。
13.現在の公式FAQも、この新しい運用を反映している
2026年現在、公式FAQはこの新しい説明に更新されています(公式FAQ)。現在の説明は、次のように整理できます。
- 交友は持たない。
- 一緒に食事はしない。
- しかし完全に無視するわけではない。
- 集会で挨拶する人もいる。
- 復帰を希望する人には長老が援助する。
- 同居家族については、夫婦や家族としての通常の関係を続ける。
以前の公式出版物を知らず、現在のFAQだけを読むと、「排斥者を徹底的に無視する制度だった」という元信者の証言と矛盾しているように見えるかもしれません。しかし、1981年、1988年、2010年代、2024年以降の資料を年代順に並べれば、教団の説明と運用自体が変化していることが分かります。
ここで注意すべきなのは、現在のFAQが過去の運用を詳細に説明しているわけではないことです。現在の公式説明は、現在の教団が示したい規範を知るための資料です。過去に信者が何を教えられ、どのような行動を期待されていたのかを知るには、当時の出版物や映像教材を確認する必要があります。
14.排斥制度の歴史を整理すると
| 時期 | 教団資料から確認できる主な傾向 |
|---|---|
| 1980年代 | 排斥・断絶者との接触を強く制限。神への忠節として家族との交わりを断つ事例を肯定的に提示 |
| 1990~2000年代 | 同居家族の日常関係は維持する一方、別居した排斥家族との接触は強く抑制 |
| 2010年代 | 大会映像などでも、別居した排斥家族への電話などを避けるモデルを提示 |
| 2023年 | 弁護団調査により、家族断絶と離脱困難が多数報告される |
| 2024年 | 「排斥」から「会衆から除く」へ表現変更。集会への招待・挨拶に一定の個人判断を認める |
| 2026年現在 | 交友・一緒の食事を避ける原則を維持しつつ、「完全に無視する必要はない」と公式説明 |
この表から分かるのは、排斥をめぐる教えが固定されたものではないということです。用語、接触の範囲、信者に求められる態度は、時期によって変化しています。
ただし、変化があったからといって、過去の経験が無効になるわけではありません。現在の教団が以前より柔軟な説明をしているとしても、過去に家族との接触を断たれた人が経験した事実は残ります。逆に、過去の厳しい運用が存在したからといって、現在のすべての信者家庭が同じ対応をしていると断定することもできません。
15.本当に重要なのは「話しかけてよいか」だけではない
排斥問題について、「挨拶できるようになった」という変更だけを見ると、本質を見失う可能性があります。
離脱する人にとって大きいのは、親と会えるか、子どもに祖父母を会わせられるか、きょうだいの結婚式に参加できるか、病気の家族を支えられるか、友人関係を維持できるか、といった人生全体の人間関係です。
現在も「交友を持たない、一緒に食事をしない」という原則が残っている以上、元信者と信者家族の関係に大きな制約が残る可能性があります。
また、家族関係は、単に会話や食事の有無だけで決まるものではありません。冠婚葬祭への参加、子どもの行事、病気や介護の際の支援、金銭的援助、相続、緊急時の連絡など、家族としての役割は多岐にわたります。2024年の変更がこれらの関係にどの程度影響したのかは、公式説明だけでは判断できません。
したがって、2024年の変更によって、実際の元信者と家族の関係がどの程度改善したのかについては、今後、当事者調査や長期的な追跡研究によって確認する必要があります。
16.「家族を失うかもしれない」という状況は、宗教を辞める自由に影響するのか
最終的に、この問題の中心はここにあります。
宗教団体には、誰を構成員として認めるかを決める宗教上の自治があります。信者自身にも、誰と付き合うかを決める自由があります。したがって、「元信者と付き合わない」という宗教上の判断を、直ちに法律で禁止できるという単純な問題ではありません。
一方で、「宗教を辞めれば親、子、きょうだい、友人との関係を失う可能性がある」という制度が存在する場合、それが本人の離脱意思にどの程度影響するのかは、別途検討する必要があります。
特に、未成年で正式信者になった宗教2世については重要です。十代で行った宗教上の決定によって、成人後に宗教を変更した際、家族との関係まで大きく変化するのであれば、「本人がバプテスマを受けた時点で、その意味をどこまで理解できていたのか」という問いが生じます。
ここで問題になるのは、宗教団体が信者を除名できるかどうかだけではありません。本人が、家族関係を失うことへの恐れなしに、信仰を続けるか、変えるか、やめるかを考えられる環境にあったかどうかです。
17.「会衆から除かれたから家族が切られた」という証言をどう扱うべきか
この問題についても、二つの極端な説明は避けるべきです。
一つは、「エホバの証人は辞めると必ず家族と縁を切らされる」という説明です。同居家族については、教団自身が通常の家族関係を続けるよう説明しており、家庭ごとの実際の対応にも差があります。
反対に、「家族関係は何も変わらない。元信者の話は個々の家庭の問題にすぎない」とする説明も、過去の公式出版物や大会教材、当事者調査とは整合しません。
より資料に忠実なのは、次のような整理です。
教団は長年、会衆から除かれた信者との交友を断つことを宗教的義務として教えてきた。同居家族には例外的な扱いがある一方、別居家族との接触は大幅に制限されてきた。2024年に一部緩和されたが、交友を避けるという基本原則そのものは現在も維持されている。
この整理であれば、教団の公式資料、過去の出版物、当事者の証言を同時に扱うことができます。
また、当事者の証言を評価する際には、「その家庭だけの特殊な事例」として片付けるのではなく、同様の経験がどの程度反復して報告されているか、当時の教団資料がどのような行動を推奨していたか、現在の教団説明とどの点が異なるかを確認する必要があります。
18.排斥問題を記録する意味
このテーマでも、過去の出版物を保存し、現在の説明と並べることには大きな意味があります。
現在のFAQだけを読むなら、「完全に無視するわけではない」という教団の現在の姿しか見えません。しかし、1981年や1988年の出版物、2016年の信者向け教材、2024年の変更を時系列に並べることで初めて、何が以前の教えだったのか、何が変わったのか、何が今も変わっていないのかを検証できます。
排斥制度をめぐる問題は、単に「元信者に挨拶するかどうか」という問題ではありません。それは、次のような複数の権利や利益が衝突する問題です。
- 人が宗教を選ぶ自由
- 宗教を変える自由
- 宗教を辞める自由
- 家族関係を維持する自由
- 宗教共同体が自らの規範を維持する自由
- 信者が自分の良心に従って行動する自由
だからこそ、一方的に「ひどい制度だ」と断定するだけでも、「信教の自由だから問題ない」と終わらせるだけでも十分ではありません。
重要なのは、どのようなルールが存在し、そのルールが人の選択にどのような影響を与えているのかを、実際の資料と当事者の経験の双方から記録することです。
そして2024年以降、教団自身が制度運用を変え始めたのであれば、その変化も同じように記録していく必要があります。将来、「昔の排斥制度はどのようなものだったのか」「いつ、どの部分が変わったのか」「その変更によって家族関係は本当に改善したのか」を検証できるようにすること。それが、この問題を記録し続ける大きな意味になるでしょう。