エホバの証人の子どもは大学に行けなかったのか―高等教育に対する教えと、長老資格の判断はどう変わったのか

「エホバの証人の子どもは大学に行けなかった」という体験談があります。一方、エホバの証人では、大学に進学したことだけを理由として自動的に排斥されるという規則があったわけではありません。そのため、この問題を「大学は禁止されていたのか」という二択だけで考えると、実態を見誤る可能性があります。

本当に問うべきなのは、子どもたちが大学を自分の人生の現実的な選択肢として持つことができたのか、という点です。「大学へ行きたい」と思うことは家庭や会衆で許容されていたのか。大学に行きたいと言うことで親の宗教上の立場に影響する可能性はなかったのか。そして、実際に進学したいと思った時、家庭にその費用を負担できる経済的な余裕があったのか。教理、組織上の評価、家庭の経済状況を一つの流れとして見る必要があります。

1.「大学に行ったら排斥」ではなかった

まず確認しておきたいのは、大学進学そのものを一律に禁止し、大学に行けば自動的に排斥するという単純な制度ではなかったことです。

エホバの証人は長年、高等教育について危険性を繰り返し警告する一方、最終的には本人や家庭が判断するという立場も示してきました。エホバの証人問題支援弁護団も、教団が「大学に行くことが罪である」と明言するわけではなく、教育について最終的には個人の決定という建前を維持していたと整理しています。(エホバの証人問題支援弁護団) エホバの証人問題支援弁護団「大学など高等教育に否定的な教えについて」

しかし、「禁止されていない」ことと、「自由に選べる」ことは同じではありません。

2.高等教育を「望んだ」段階で親の資格が検討対象になり得た

この問題を考えるうえで非常に重要なのが、2021年10月版の長老向け内部手引書『「神の羊の群れを世話してください」』です。

神の羊の群れを世話してください

そこでは「長老や援助奉仕者の資格の再検討が必要かもしれない状況」として、「本人や同居している家族が高等教育を強く望んでいる場合」が挙げられています。さらに、「長老や援助奉仕者やその妻や子供が高等教育を強く望んでいる場合」、その兄弟が王国の活動を第一にしているか、家族にそう教えているか、「高等教育の危険」に関する組織の見解を尊重しているかなどを検討するよう書かれています。

ここで注目すべきなのは、「大学に進学した場合」と書かれていないことです。「高等教育を強く望んでいる場合」です。つまり、大学を受験した、合格した、実際に進学したという結果よりも手前の段階にある「大学へ行きたい」という本人や家族の志向そのものが、親の長老・援助奉仕者としての資格を再検討する契機になり得ました。

これは、「子どもが大学へ行けば父親が自動的に長老を解任された」という意味ではありません。手引書は続いて、確かな根拠がない限り削除の推薦を急がないようにも指示しています。しかし、制度的に重要なのは、大学進学という行為だけではなく、「高等教育を強く望む」という意思形成の段階が宗教上の評価に関係していたことです。

3.「行っていいか」ではなく「行きたいと言っていいか」

大学進学までには、「大学について知る」「興味を持つ」「行きたいと思う」「親に相談する」「受験する」「進学する」という段階があります。

もし問題になるのが最後の「進学する」だけなら、子どもは少なくとも自由に大学について調べ、進学を希望し、親と話し合うことができます。しかし、「高等教育を強く望んでいる」段階で父親の宗教上の資格が検討され得るなら、家庭内の状況は変わります。

子どもが「自分が大学に行きたいと言うことで父親に迷惑が掛かるかもしれない」「父親が長老でいられなくなるかもしれない」と感じる可能性があります。親の側にも、大学へ実際に行かせるかどうか以前に、子どもが大学を強く希望する状態そのものを避けたいという心理が生まれる可能性があります。

もちろん、すべての家庭で実際にこのような心理が働いたとは断定できません。しかし制度として、子どもの高等教育への志向と親の宗教上の資格が結び付けられていたことは、「大学という選択肢を自由に持てたのか」を考えるうえで重要です。

4.弁護団調査では92%が高等教育への否定的指導を認識

2023年にエホバの証人問題支援弁護団が公表した調査では、18歳未満からエホバの証人の活動に関与していた回答者のうち、518人、92%が「大学等の高等教育に否定的な指導をしていた」と回答しています。(エホバの証人問題支援弁護団)

単に、大学等の高等教育への否定的な指導だけにとどまらないことが重要です。従わなければ忌避されうるという恐怖と相まって、二世たちの進路に影響を与えた可能性があります。大学に行きたいと言えば、どうなるかわからないという恐怖があれば行きたいとは言いづらいと考えることもできます。

一方、同じ調査でさらに重要なのは、高等教育への否定的指導があったと回答した人を対象に進学状況を尋ねたところ、教団の教えを理由として大学に進学できなかったとの回答が4割に上ったことです。弁護団は、成人後に離脱してから大学へ進学した人も「進学できた」側に含まれている可能性があるため、影響が小さく表れている可能性にも言及しています。(エホバの証人問題支援弁護団)

5.「進学という選択肢がなかった」という体験

弁護団調査に寄せられた自由記述には、幼い頃から進学よりも奉仕を優先するよう教えられたため、「進学という選択はなかった」「考える余地がない」と感じていたという趣旨の証言があります。また、大学進学を前提として進学校を選んだ際、長老や幹部から繰り返し説得を受けたという体験も掲載されています。(エホバの証人問題支援弁護団)

同じ問題を別の角度から示しているのが、東洋経済オンラインで紹介された元2世の孝さんです。孝さんは大学へ進学しませんでした。両親は後に、本当に本人が大学でやりたいことがあれば行かせてもよかったという趣旨の説明をしています。一方、孝さんは、大学へ行かないことが当たり前の環境で育ったため、大学進学が「選択肢にすら上がらなかった」と振り返っています。東洋経済オンライン・孝さんの体験が紹介されている記事

この証言は重要です。「本人は大学へ行きたいと言わなかった」という事実だけを見れば、自分の意思で大学を選択しなかったようにも見えます。しかし、その本人がどのような環境で将来像を形成したのかまで考えると、違った問題が見えてきます。

問題は「希望したのに禁止された人」だけではありません。そもそも大学を希望するという発想が形成されなかった人もいるのです。

6.さらに考える必要がある「経済的に大学を選べたのか」という問題

ここでもう一つ、重要な要素があります。家庭の経済状況です。

本サイトの別記事「エホバの証人の収入や給料」では、元信者の複数の体験談を調査しています。そこでは、宗教活動、とりわけ正規開拓奉仕を優先するため、正社員ではなくパート・アルバイトを選んだ、週3~4日だけ働いて残りの時間を宗教活動に使った、月数万円から10万円程度の収入で生活した、といった経験が紹介されています。もちろん、すべてのエホバの証人が低収入だったということではなく、技能や働き方を工夫してより高い収入を得ていた人もいます。重要なのは、宗教活動を優先する生活設計が、働く時間、職業選択、キャリア形成、貯蓄に影響したと語る人が複数存在することです。(新エホバの証人情報センター) 本サイト「エホバの証人の収入や給料」

同記事では、弁護団調査に基づき、回答者の多くが、少なくとも活動時間が最大だった時期には月40時間、60時間、80時間以上といった相当量の時間を宗教活動に使った経験を持つことも紹介しています。しかも、その宗教活動について、ほぼ全員が報酬を受け取っていなかったと回答しています。(新エホバの証人情報センター)

つまり、一部の家庭では、「宗教活動に多くの時間を投入する」「そのため仕事時間やキャリア形成を抑える」「所得や貯蓄が増えにくい」という循環が生じていた可能性があります。

7.親が大学を否定していなくても、学費を準備できなければ選択肢にはなりにくい

ここは、高等教育問題を考えるうえで見落としやすい点です。

仮に親が子どもに「大学へ行ってはいけない」と一度も言わなかったとしても、家庭に大学進学のための貯蓄がなく、親自身も宗教活動を優先して低収入の働き方を続けていた場合、子どもにとって大学は現実的な選択肢になりにくくなります。

「大学へ行ってもよい」と形式上認められていることと、入学金、授業料、受験料、一人暮らしの費用などを現実に用意できることは別の問題だからです。

もちろん、今回確認した資料だけから、「エホバの証人家庭では一般家庭より大学学費を準備していなかった」と統計的に断定することはできません。日本のエホバの証人家庭の所得、貯蓄、教育費についての代表的な比較調査は十分ではありません。

しかし、宗教活動を優先するために勤務時間や職業キャリアを抑えていたという複数の体験談があり、宗教活動への非常に大きな時間投入も報告されている以上、経済面を大学進学問題から完全に切り離して考えることも適切ではないでしょう。(新エホバの証人情報センター)

8.宗教的圧力と経済的制約は別々ではない

ここで重要なのは、教理上の問題と経済上の問題を別々に考えすぎないことです。

たとえば親が若い頃から、「高等教育より宗教活動を優先する」「必要最低限の仕事をして開拓奉仕に時間を使う」ことを望ましい人生として選択してきたとします。その結果として、職業キャリアや所得、貯蓄が十分に形成されなかった場合、18年後にその家庭の子どもが大学進学を考える時には、すでに経済的条件が狭くなっている可能性があります。

すると子どもは、大学について「宗教的に望ましくない」だけでなく、「うちにはそんなお金はない」「自分には現実的ではない」と感じるかもしれません。

つまり、「大学へ行かない」という一つの結果の背後には、少なくとも三つの層が重なっている可能性があります。

教団から繰り返される高等教育への警戒、大学を強く望むことが親の宗教上の評価にも関係し得る制度、そして宗教活動を優先した親世代の働き方によって形成された家庭の経済条件です。

これらが重なると、大学は「禁止された選択肢」ではなくても、「最初から選択肢になりにくいもの」になり得ます。

9.人生を「点」ではなく「線」で見る

本サイトの別記事「エホバの証人の子どもは、どのような人生を歩むのか」では、宗教2世の問題を幼少期、学校、進学、仕事、結婚、離脱といった別々の「点」ではなく、一つの人生の「線」として見る必要性を指摘しています。(新エホバの証人情報センター) 本サイト「エホバの証人の子どもは、どのような人生を歩むのか」

大学進学も同じです。

18歳になった時だけを切り取って、「本人に大学へ行きたいという意思があったか」「親は進学を禁止したか」と尋ねるだけでは十分ではありません。

幼い頃からどのような将来像を示されてきたのか。大学についてどのような情報を与えられたのか。宗教活動を優先することをどの程度期待されていたのか。大学を望んだ時、家族の宗教上の立場に影響する可能性があったのか。家庭ではどのような働き方が選ばれ、教育費を準備する余裕があったのか。これらを時間軸でつなげて見る必要があります。

大学に進学しないという選択は、その後の就職、所得、資格取得、社会保障、そして宗教組織から離れる際の経済的自立にもつながっていきます。本サイトの人生を「線」で見る記事でも、大学へ進学しないことや、宗教活動に多くの時間を使うことが、その後の職業・所得・キャリア形成に続いていく問題として整理しています。(新エホバの証人情報センター)

10.「本人が大学に行きたくなかった」だけでは判断できない

この視点から見ると、「本人が大学に行きたいと言っていなかった」という説明だけでは、その進路が十分に自由な意思決定だったかを判断できません。

本人が大学を希望しなかった可能性は当然あります。その意思は尊重されるべきです。

一方で、「大学へ行くことは信仰上望ましくない」「宗教活動を優先するのが模範的である」と幼い頃から教えられ、大学を強く望めば親の宗教的な資格にも関係し得る環境にあり、さらに家庭の経済状況から大学進学を現実的に想像しにくかったとすれば、「大学に行きたいと思わなかった」という本人の意思そのものが、そうした環境の中で形成されていた可能性があります。

東洋経済の孝さんの証言で興味深いのは、両親が「本人が本当に行きたいなら行かせた」という趣旨を話す一方、本人は「大学進学が選択肢にすら上がらなかった」と振り返っていることです。東洋経済オンライン・孝さんの体験

この親子の認識差は、「禁止したかどうか」と「子どもが選択肢を持てたかどうか」が別の問題であることをよく示しています。

11.大学進学問題を「選択肢」という言葉で捉え直す

以上から、「エホバの証人では大学は禁止されていたのか」という問いだけでは、この問題を十分に理解できません。

大学に進学したら自動的に排斥するという規則があったわけではありません。しかし、長期間にわたって高等教育を宗教的な危険として警戒するメッセージが存在し、弁護団調査では92%が高等教育への否定的な指導を認識していました。教えを理由として大学へ進学できなかったという回答も4割に上っています。(エホバの証人問題支援弁護団)

さらに2021年版の長老向け内部手引書では、大学に実際に「進学した」ことではなく、本人や妻、子どもが高等教育を「強く望んでいる」ことが資格再検討につながり得る事項として記載されていました。

そして、宗教活動を優先するためにパートやアルバイトなどを選び、職業キャリアや所得、貯蓄が制約されたという元信者の体験談も複数あります。これがどの程度一般的だったかを示す日本の代表的な統計はありませんが、少なくとも一部の家庭では、宗教的な理由だけでなく経済的な条件も大学を選択しにくくした可能性があります。(新エホバの証人情報センター)

このため、支援者や研究者が確認すべきなのは、「親が大学を禁止したか」だけではありません。

子どもは大学という進路を知ることができたか。大学に興味を持つことが許容されていたか。大学へ行きたいと安心して言えたか。その希望によって親の宗教上の立場を心配する必要はなかったか。家庭には進学費用を準備する経済的な条件があったか。そして「大学に行かない」という本人の意思は、どのような環境の中で形成されたのか。

エホバの証人2世の大学進学問題を理解するために必要なのは、「大学に行けたか」という結果だけではなく、「大学を自分の人生の選択肢として持つことができたか」という視点なのではないでしょうか。

この観点に立つと、教理、親の長老資格、家庭の働き方、所得、宗教活動に使う時間、本人の進路意識は、それぞれ独立した問題ではありません。一人の子どもの人生の中では、すべてがつながっています。関連:エホバの証人の収入や給料 関連:エホバの証人の子どもは、どのような人生を歩むのか