――幼少期の違和感、認知的離脱、家族との葛藤、そして「自分の人生」を作り直すまで
エホバの証人2世が教団を離れることは、「信じられなくなったので辞めた」という一回の出来事ではないことがあります。
幼少期から集会や布教活動に参加し、家族や友人の多くもエホバの証人という環境で育った人にとって、信仰は単なる宗教ではありません。何が正しいのか、誰と付き合うのか、どのような学校や仕事を選ぶのか、将来をどう考えるのか、そして「自分はどんな人間なのか」というところまで、人生の広い範囲と結び付いている場合があります。
そのため、離脱も一瞬では終わりません。
幼少期に周囲との違いを感じる。思春期に疑問を持つ。教団の説明を絶対視できなくなる。それでも家族を失うのが怖くて活動を続ける。徐々に距離を置く。組織を離れる。そして離れた後に、家族、友人、仕事、恋愛、自分の価値観を作り直す。
日本では2002年、猪瀬優理氏が元信者39人を対象にした実証研究「脱会プロセスとその後―ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に」を発表しました。この研究の重要な点は、「組織から離れること」と「教団の世界観から認知的に離れること」を別のプロセスとして捉えたことです。猪瀬氏はさらに、離脱後には教団外の情報や人間関係を得ながら「社会的リアリティの再定義」が必要になると分析しています。(J-STAGE)
猪瀬優理「脱会プロセスとその後」全文
この記事では、この研究に、その後の宗教2世調査、エホバの証人問題支援弁護団の調査、国内報道、海外研究、そして実際の当事者の声を重ねながら、2世の人生の中で何が起こり得るのかを見ていきます。
なお、ここで示すのは一つの典型的なモデルです。すべての2世が同じ経験をするわけではありません。信仰に肯定的な人、比較的円満に活動から離れた人、家族関係を維持している人もいます。
まず、人生全体を見る――2世の心理はどのように変化するのか
| 年齢の目安 | フェーズ | どんなことが起こるか | どんな心理になりやすいか |
|---|---|---|---|
| 幼少期~小学校低学年 | 信仰の内面化 | 親と集会・布教に参加する。学校では誕生日や行事などで周囲との違いを経験する | 家族・会衆への安心感と「なぜ自分だけ違うのか」という違和感が同居する |
| 小学校高学年~思春期 | 違和感・疑問 | 学校、友人、学習を通して教団外の価値観を知る | 「教えが正しいのか、自分がおかしいのか」と揺れる。罪悪感や自己否定も起こり得る |
| 思春期~青年期 | 認知的離脱 | 教団の説明を絶対視できなくなり、外部情報を調べる | 解放感と同時に、世界観が崩れる不安や恐怖が生じる |
| 青年期 | 葛藤・フェードアウト | 集会・布教を減らすが、家族関係を守るため表面上残る場合がある | 「辞めたい、でも家族を失いたくない」という板挟み。自己隠蔽や緊張 |
| 青年期~成人期 | 組織的離脱 | 活動停止、断絶、会衆から除かれるなど | 自由と同時に、家族・友人・所属・自己像を失う喪失感 |
| 離脱後 | 喪失・心理的不調 | 教団外で生活を始める | 孤独、不安、抑うつ、自己評価低下、対人不信などが生じる場合がある |
| その後 | 再構築 | 人間関係、仕事、価値観、将来像を作り直す | 「自分は何が好きか」「どう生きたいか」を考え、少しずつ自己決定感を作る |
この表で特に重要なのは、組織的離脱と認知的離脱が同時に起きるとは限らないことです。
幼少期――「信仰している」というより、それが最初から世界である
成人してから宗教に入った人には、「入信する前の自分」があります。
2世には、それがありません。物心がついたころから親と集会へ行き、聖書について学び、布教活動に参加する。それが家庭の日常であれば、子どもにとっては「宗教を選択している」という感覚ではなく、「世界とはこういうものだ」と理解する方が自然でしょう。
ところが、学校へ行くと別の世界があります。誕生日を祝う友達がいる。学校行事があります。教団外の友達同士で遊びます。その中で、「家では普通なのに、学校では自分だけ違う」という経験が生まれることがあります。
2022年に社会調査支援機構チキラボが宗教2世1,131人を対象に行った調査では、エホバの証人2世回答者168人について、初めて教団や信仰に疑問を抱いた時期が他の主要な比較対象より早く、47.6%が12歳以下でした。これは無作為抽出調査ではないため、JW2世全体の割合には一般化できませんが、かなり幼い時期から疑問を抱く2世がいることを示しています。
チキラボ「宗教2世実態調査」報告書
しかし、子どもが最初に考えるのは「教団がおかしい」ではないかもしれません。親は自分を育ててくれる人であり、安全や正しさの基準でもあります。その親が正しいと言っていることに自分だけ違和感を持てば
「どうして自分は信じられないのだろう」
「みんなと同じことをしたいと思う自分が悪いのだろうか」
という方向へ考える可能性があります。幼少期の違和感が、そのまま自己否定につながる場合があるという点は、離脱の心理を理解するうえで重要です。
思春期――「自分がおかしい」から「ほかの考え方もある」へ
思春期になると、友人関係が広がり、科学や歴史を学び、恋愛や進路についても考え始めます。
親の世界とは別に、「自分自身の世界」ができ始めます。
猪瀬論文では、2世の多くが学校生活と会衆・家庭での生活という「二重生活」に苦しみ、教団の価値観と一般社会の価値観との間で板挟みになったことが報告されています。自発的に離脱した2世17人を見ると、組織的離脱が先行した人が10人、認知的離脱が先行した人が7人でした。
ここは重要です。「信じられなくなってから辞めた人」だけではなく、「もう活動を続けられなくなって先に辞め、その後何年もかけて信仰から心理的に離れた人」が存在します。
組織的離脱が先行した2世の中には、安定した認知的離脱まで10年以上を要した事例も複数ありました。猪瀬氏は、2世ではハルマゲドンへの恐怖、罪悪感、「正しいエホバの証人になれなかった」という自己否定感が強く残る傾向を指摘しています。
ある2世男性は、フェードアウトした後の感覚をこう語っています。
「組織を辞めると自分の価値がなくなるように感じた。」
これは単に「宗教をやめた」という話ではありません。所属を失うことが、「自分には価値があるのか」という自己認識の問題にまでつながっていたことが分かります。
認知的離脱――「信じなくなる」と、すぐ楽になるわけではない
外部情報に接することは、離脱の大きな転換点になり得ます。
しかし、ここでいう外部情報は「教団批判を読む」ということだけではありません。歴史や科学を知ること、別の宗教観を知ること、教団外の人と付き合うこと、元信者と話すこと。それまで一つしかなかった世界の説明に、二つ目、三つ目の説明が現れます。
猪瀬論文では、組織から離れた後にも罪悪感やハルマゲドンへの恐怖を持っていた2世が、インターネットを通して同じような経験をした元信者と知り合い、自分だけが特殊なのではないと分かったことで認知的離脱に至った事例が紹介されています。
「もう信じていない」という知的な判断と、「もう怖くない」という感情的な変化は、同じ速度では進まないのです。これは離脱後にも続きます。地震、戦争、感染症などを見たときに、知識としては否定しているはずの終末への恐怖が一瞬戻ることもあり得ます。
したがって、認知的離脱は「洗脳が解けた瞬間」のように描くより、長い時間をかけて世界観を作り替える過程として考えた方が実態に近いでしょう。
「辞めたい。でも家族を失いたくない」―フェードアウトが生まれる理由
認知的に離れ始めても、組織からすぐに離れられるとは限りません。
最大の理由の一つが家族です。猪瀬氏が分析した自発的離脱の2世17人のうち12人には家族内に信者がおり、家族関係が離脱後にも大きな影響を与えていました。ある女性は高校生のころに活動から離れましたが、「母親がどれほど悲しむだろう」と考え、完全には離れられませんでした。教団を客観的に見るようになった後も、親切だった信者を否定すれば母親や過去の自分まで否定するように感じ、揺れ続けています。
これは「まだ洗脳されている」というだけでは説明できません。
「親を愛している」
「でも親の信仰は信じられない」
という二つの感情は、同時に存在できます。
実際、2023年に東洋経済が取材した10代の2世、笹木裕子さん(仮名)は、祖父母も両親も信者という家庭に育ち、活動を続けながら経済的自立を目指していました。
「あと数年で家から出られる。そうすればエホバから離れられる。」
離脱が単なる思想上の決断ではなく、住居、収入、親との関係と結び付いていることがよく分かります。(東洋経済オンライン)
東洋経済「エホバの証人2世の『見えざる心の被害』の実態」
弁護団の2023年調査でも、児童期にバプテスマを受け、思春期以降に教団へ疑問を持った場合、正式な離脱による忌避を避けるために「フェードアウト」を選ぶ2世がいると分析されています。(エホバの証人問題支援弁護団)
なお、この点については現在の教団公式説明も確認しておく必要があります。2026年現在、教団は「排斥」ではなく「会衆から除かれた」という表現を用いており、除かれた人とは交友を持たない一方、「完全に無視するというわけではない」と説明し、集会に来た人にあいさつする信者もあり得るとしています。同居家族については、家族としての接し方は変わらないと説明しています。過去の当事者経験、2023年調査、現在の公式方針は区別して読む必要があります。(JW.ORG)
エホバの証人公式「エホバの証人ではなくなった人にどのように接していますか」
組織を離れた後―失うのは「宗教」だけではない
離脱すれば、できることは増えるでしょう。自分で友人を選ぶ。進学する。仕事を選ぶ。恋愛するなどです。
しかし同時に、失うものもあります。長年の友人、会衆、相談相手、家族との関係。そして「自分は何者なのか」を説明していた世界観です。東洋経済が取材した久美子さん(仮名)は、11歳でバプテスマを受け、19歳で排斥された後、14年間母親と会うことも電話やメールをすることもできない状態が続いたと語っています。
彼女が望んでいるのは、教義論争ではありません。
「親孝行がしたい。それだけです。」
という、とても日常的な願いでした。(東洋経済オンライン)
東洋経済「脱会した宗教2世が『母に会えない』過酷な現実」
久美子さんは別の箇所で、排斥された後について、家族や親友を失い、学校時代の友人関係も乏しかったため「自分のホームと言える場所」がなかったと振り返っています。(東洋経済オンライン)
東京新聞が2023年に取材した別の元2世女性も、信者ではない男性との恋愛を理由に排斥された後、親族との関係が断たれた経験を語っています。それでも親族について、
「家族として大好きな気持ちは変わらない」
と話しています。(アシュラ2)
東京新聞「元2世信者が語る、脱会後の『忌避』とは」
ここにも、離脱経験の複雑さがあります。傷つけられたと感じることと、家族を愛することは矛盾しません。
「生きている家族を失う」―海外研究がいう社会的死
この問題は海外でも研究されています。
Heather Ransomらは、元エホバの証人へのインタビューを通して、家族や友人が亡くなったわけではないのに関係が失われる状態を「social death(社会的死)」という観点から分析しています。相手が今もどこかで生活していることを知っている。それなのに話すことも、会うこともできない。
通常の死別とは異なり、喪失を心理的に完結させることが難しい場合があります。(スプリンガーリンク)
Ransomら「Grieving the Living」
別のRansomらの研究では、離脱後に新しい集団とのつながりや新しい社会的アイデンティティを形成することが、自己評価やウェルビーイングの回復と関係していました。(スプリンガーリンク)
Ransomら「Life after Social Death」
これは、猪瀬氏が20年以上前に指摘した「教団外の人間関係の形成」とよく重なります。
離脱した後に、むしろメンタルヘルスの問題が見えることがある
「辞めれば問題が解決する」とも限りません。
エホバの証人問題支援弁護団の2023年調査では、有効回答者578人の約75%が、孤独感、疎外感、自死願望、自尊心の欠如などのネガティブな感情を経験したと回答し、約29%がPTSDやうつなどについて診断を受けたと回答しています。またK6による比較でも、国民生活基礎調査の母集団と比べ、高い心理的ストレスを示す回答者が多かったと報告されています。(エホバの証人問題支援弁護団)
エホバの証人問題支援弁護団「2世等のメンタルヘルス」
ただし、この数字は慎重に読む必要があります。この調査は、日本のJW2世全体から無作為抽出した疫学調査ではありません。そのため「JW2世の29%が精神疾患になる」と一般化することはできません。また、個々の精神的不調について、宗教経験だけを原因と断定することもできません。
一方、自由記述には、数字では表しにくい離脱後の心理が表れています。
ある回答者は、恐怖やフラッシュバック、低い自己肯定感について述べた上で、
「自身で決定をするのがとても難しい」
と記しています。(エホバの証人問題支援弁護団)
これは非常に重要な証言です。離脱によって「選択できるようになる」ことと、「選択できる心理になる」ことは別だからです。
8.「自由になったのに、何を選べばいいのか分からない」
離脱後には、非常に日常的な問題が現れることがあります。どんな服を着るか。誰と友達になるか。どんな仕事をするか。大学へ行くか。誰を好きになるか。結婚するか。子どもを持つか。
禁止する人はいなくなっても、「自分は何をしたいのか」がすぐに分かるとは限りません。
宗教的な正解が細かく存在する環境で育った場合、「正解を選ぶ」のではなく「自分の価値観で選ぶ」という経験自体を、成人してから学ぶことになる場合があります。仕事にも影響することがあります。東洋経済が取材した元2世のダイキさんは、高い学歴を持ちながら、宗教活動を優先する生活の中で就職に苦労した時期について、
「正直に話すのが正しいことだと信じていました」
と振り返っています。(東洋経済オンライン)
東洋経済「院卒で就けた仕事は清掃…『宗教2世男性』の苦悩」
つまり離脱後の再構築は、宗教観だけではありません。教育、仕事、収入、友人、恋愛、住居、老後まで含めた人生設計の再構築になります。
同じ経験をした人と出会うことで、過去の意味が変わることもある
猪瀬論文で興味深いのは、インターネットや元2世との交流が大きな役割を果たしていたことです。教団を離れて20年近くたっていた人でも、初めて同じ経験をした2世と会い、経験を話すことで、過去の捉え方が変わった事例があります。その男性は、同じ経験をした人と話す中で、
「自分だけじゃなかった」
と感じられたことを語っています。これは「元信者コミュニティーに入れば治る」という意味ではありません。過去についてもう話したくない人もいます。別の宗教を持つ人もいます。元JWというアイデンティティーから離れたい人もいます。重要なのは、本人が選べることです。
JW時代に「正しい生き方」を与えられていた人に対して、外部の人が今度は「元JWならこう生きるべき」と別の正解を押し付ければ、本人が自分で選ぶ機会を再び奪うことになりかねません。
離脱後は「喪失」だけでも「解放」だけでもない
Rosie Lutherが元エホバの証人10人を詳しくインタビューした研究では、忌避後の孤独感、コントロール喪失感、無価値感、他者への不信のほか、メンタルヘルス、仕事の可能性、人生満足度への長期的な影響が報告されています。小規模な質的研究なので発生率を示すものではありませんが、離脱後の問題が人間関係だけに限定されないことを示しています。(PubMed Central (PMC))
Luther「What Happens to Those Who Exit Jehovah’s Witnesses」
一方で、離脱後の人生を苦痛だけで描くのも適切ではありません。
新しい友人を作った人もいます。大学に進んだ人もいます。好きな仕事を選んだ人、恋愛や結婚を経験した人、自分の価値観で子どもを育てている人もいます。そして、JWだった時代のすべてが嫌な記憶とは限りません。
東洋経済が取材した久美子さんも、幼少期に生活が苦しかった際、会衆の人から制服を譲ってもらったり、助けてもらったりした経験を語っています。(東洋経済オンライン)
「つらかった経験」と「助けてもらった記憶」は同じ人の中に存在できます。だから、外部の人が、「あなたの過去は全部間違っていた」と決める必要もありません。何を大切な思い出として残し、何を手放すのか。それも本人が決めることです。
家族、恋人、友人、支援者はどう関わればよいのか
離脱を支援するとき、「教義が間違っていることを証明する」だけでは十分でないことが、これらの研究から分かります。
本人にとって切実なのは、明日どこに住むのか、どうやって生活費を得るのか、学校へ行けるのか、家族との関係をどうするのか、困ったとき誰に連絡できるのか、といった問題かもしれません。
10代の笹木さんの「家から出られれば離れられる」という言葉は、この点を象徴しています。思想上は離脱していても、経済的・生活上は離脱できないことがあります。(東洋経済オンライン)
したがって、宗教から離れる自由を実質的に保障するためには、住居、教育、仕事、人間関係、必要に応じた心理的・医療的支援という、宗教外で生きていく基盤が必要です。
そしてもう一つ大切なのは、本人の決定権を尊重することです。
「早く辞めなさい」
「親とは縁を切るべきだ」
「過去は忘れなさい」
と別の人が人生を決めるのではなく、
「あなたはどうしたいのか」
を一緒に考えることです。
エホバの証人2世の離脱とは、「人生の地図を描き直すこと」
猪瀬優理氏は2002年の時点で、離脱を組織から離れるという一点では捉えませんでした。
教団外の情報を知る。教団外の人と関係を作る。教団の世界観とは異なる方法で社会を理解する。そして「自分は何者なのか」を改めて作る。それが「社会的リアリティの再定義」です。(J-STAGE)
その後の研究では、忌避による「社会的死」、アイデンティティーの喪失、メンタルヘルス、新しい社会的つながりによる回復なども研究されるようになりました。日本でも弁護団調査や当事者への報道によって、それまで個人の経験として散在していた問題が徐々に可視化されています。(スプリンガーリンク)
これらをつなげると、エホバの証人2世が教団を離れる経験は、「信仰を捨てること」という一点ではなく、「生まれたときから与えられていた人生の地図を手放し、自分自身の地図を描き直していくこと」と考えると理解しやすくなります。
それは必ずしも一直線に進みません。戻ることもあります。長い間迷うこともあります。離れた直後より、数年後になって過去の影響を感じることもあります。
だから、「なぜもっと早く辞めなかったのか」「もう辞めたのだから大丈夫だろう」と評価するのではなく、その人がどのような世界で育ち、何を失う可能性を抱えながら決断し、離れた後に何を一から作り直しているのかを見る必要があります。
宗教を信じる自由と同じように、宗教を離れる自由も大切です。
そして本当の意味で「離れる自由」がある社会とは、離れた後にも、その人が孤立せず、自分の人生をもう一度作っていける社会なのだと思います。