村本治医師の紹介、編集後記

編集後記/編集者の訴え/(自己紹介)

五周年にあたって(5-31-01筆)

☆早いものでこのウェブサイトを開始して五年が過ぎてしまいました。その間、私事の多忙にまぎれて更新を思うように出来なかったにも関わらず、いつの間にか多数の読者を集めるようになり、読者の皆様の熱心なご支援にただただ感謝するばかりです。何よりも申し訳なく思うことは、多くの読者から個人的なお便りを頂きながら、お返事を書くことが出来なかったことです。フルタイムで働く医師として、ただ一つの身しか持たない人間の出来ることにはどんなに頑張っても限界があることを認めざるを得ず、私信に返信するよりは、僅かの許された時間をウェブサイトの内容の更新にあてることにしました。どうかこの事情を察してお赦しください。

☆この五年間の間に、数え切れない数のエホバの証人が、このウェブサイトをきっかけに、自発的に組織を出るか、不活発になりました。それに対し、インターネットの出現以前に盛んであった「保護監禁」による半強制的な改宗活動は、合法性の問題もあり下火になってきています。この五年間は、インターネットによる情報革命が、カルト救出運動にも大きな変革をもたらした時代であったと思います。

☆宗教の選択は、たとえカルトであってもそれに反対する宗教であっても、すべて個人の自由な選択によるべきであるという信念はこの五年間変わっておりませんし、ますますその感を強く持っております。自由な選択を制限して宗教に勧誘して、内部に引きとめる団体をこの信念に基づいて批判するのなら、自由な選択を制限して宗教を放棄させる団体も同じように批判しない限り、片手落ちの偏った見方に陥る危険があります。

☆そんなことを考える中で、いつしかこのウェブサイトを通じて多数の「目ざめた」エホバの証人と出会うことが出来ました。これらの人々は、組織の内部、外部の全ての情報と見方を吟味した上で様々の事情から組織に留まる決断をした人々でした。一人一人みな事情は異なり、考え方も千差万別ですが、共通することは皆、エホバの証人としてよりも先ず血の通った感性を持つ人間として、私のような部外者と率直で正直な意見の交換ができることでした。それまでに接してきた、組織の教えをオウム返しに言うだけ、自分の率直な見方を語らずに組織の出版物を見せてお茶を濁すエホバの証人たちと比べて、何という違いでしょうか。このようなエホバの証人が日本にも、アメリカにも、ヨーロッパにも少数ながら確実にいることは、私の嬉しい驚きであると同時に、ある意味でエホバの証人への私の姿勢を変化させました。

☆これらの目ざめたエホバの証人の方々は、その多くは自然と不活発化した人々ですが、一つの新しい視点を提供してくださいました。それは、人がエホバの証人であるか、組織に入っているか出ているか、は必ずしも本質的な問題ではない、ということでした。「脱会」を目的とした「保護監禁」活動は、とにかく「やめさせること」に目標を置いていますが、組織の中にいても外にいても、目ざめる人は目ざめるし、目ざめない人はどこにいてもカルト的依存心による情報自己規制の檻の中に自分を閉じ込めてしまうことがわかりました。そしてこの問題は、何もエホバの証人に限らず、恐らく全ての宗教に共通なのではないかと思うようになりました。このウェブサイトはそのような「目ざめた」人々の交流の場にしたいと思っています。

☆この五年間でインターネットは全世界にめざましい普及を遂げました。エホバの証人に関する情報は、今では手に入れようと思えばどこからでも容易に入るようになってきました。時々、このウェブサイトの使命ももうそろそろ終わりに来たかと思うことがあります。仕事に疲れた眠い目をこすりながら、自分を鞭打ってコンピューターに向かう時、もうウェブサイトをやめて昔の趣味に戻って楽しい時を過ごしたら、などという誘惑にかられることもあります。しかし引き続き、熱心な読者の投書や、このウェブサイトがきっかけとなって人生が変わった人々の体験を聞くと、責任の重さを痛感して疲れも吹っ飛んでいってしまうから不思議です。やはり読者の方々のご支援が唯一のエネルギー源であることを、この五年間でつくづく感じるようになりました。五年後、このサイトがどうなっているかわかりませんが、引き続きご支援頂ければ幸いです。


三年が過ぎて(7-4-99筆)

☆過去一年も、またエホバの証人の大きな変革の年でした。そしてなんと、つい一昨日、また統治体の老朽化した一員である、ロイド・バリーがハワイの大会会場で突然死亡しました。老朽化した統治体の最後を象徴するような出来事でしょう。やがて、統治体の老人たちが死に絶えた時、この宗教の指導部はどうなることでしょう。予想は困難ですが、統治体の独占的宗教権力は、より若い世代に分散させざるを得ないでしょう。幾つかの教義が変更され、組織の構造も変わることでしょう。やはり「雪解け」の時代が来つつあるのでしょうか。

☆この一年で、このウェブサイトもJWIC.COMの名前を取得し、日本だけでなく、英語版の方には世界からの読者を得ています。訪問回数もあっというまに十万回を超えてしまいました。ものみの塔協会の再三の警告にもかかわらず、活発なインターネットの活動がエホバの証人自身の間で広がっています。このサイトの「読者の広場」でも、多くの現役エホバの証人が活発に発言をし、意見を交換するようになっています。数年前には考えられない姿です。どのような形であれ、自由な対話が起こることは相互理解の第一歩として歓迎すべきでしょう。

☆このサイトが三年にわたるにつれ、このサイトをきっかけにしてエホバの証人をやめたり、見直したりする人々が増えてきました。「読者の広場」に収録したメール以外に、公表をしないという条件で多くのメールを頂きました。これらの人々は、まだ組織に留まっているため、匿名でも公表は不可能でした。たとえば、20年以上のベテランのエホバの証人夫婦が、このサイトを通じて始めて1980年の大量排斥事件の真相を知って、組織を見直すきっかけを得たこと、30年のエホバの証人歴を持つ二世が、やはりこのサイトに接して、その方の言葉によれば「心の中の大革命」を経験し、やめるきっかけになったこと、などを教えていただきました。その他、現在まだ活発なエホバの証人でありながら、家族のことを考えて徐々に退いていくことを考えている方のお便りも頂きました。

☆その一方で、日本の世論でも反エホバの証人の発言が時々見られるようです。いわゆる「保護監禁」によるエホバの証人の「救出」活動も、一部のキリスト教会の人々によってこの数年、ますます活発化していますが、ついに一人の救出活動を行っている牧師がエホバの証人側から訴えられました。私はこの方法に最初から疑問を持ち、そのような物理的監禁よりも、自由な情報の公開を通じて、エホバの証人の自発的判断を促すことを提唱し、このウェブサイトを始めました。このウェブサイトも、監禁を行っているグループの文書を掲載し、リンクをはっております。私は個人的にはこれらの牧師の人々に、キリストにある同胞としての敬意も持ち続けております。しかし、私はアメリカでは間違いなく違法行為である、「保護監禁」による「救出」を支持するつもりはありません。

☆昨年から活発化した輸血拒否改革派のエホバの証人たちの活動も、アメリカとヨーロッパで更に活発化してきました。ブルックリン本部の指導部は何らかの対応をせざるを得なくなっていますが、過去一年、対応らしい対応ができないでいるようです。その一つの要因は、最近の医学の進歩が輸血の必要性をますます減らしていることが考えられます。ものみの塔指導部の希望は、このまま現在の方針を続行していっても、そのうち医学の進歩により、輸血拒否による実質的な問題が無くなるという希望的観測があるようです。しかし、残念ながら、交通事故や手術中の困難で予期しない大量出血が起こった場合、輸血以外に救命できる方法は当分出てこないと思われ、エホバの証人の死者の数は増え続けることでしょう。昨年も述べたように、この「死の教義」は世論の圧力により、変更させなければならないでしょう。今後一年の更なる運動の進展に注目して下さい。


二周年目の思い(5-24-98筆)

☆このウェブサイトを始めて丁度二年が経過し、その間、約4万回の訪問を受けました。皆様のご支援にあらためて感謝申し上げます。この二年を振り返るとインターネットの普及の速さと、技術の目まぐるしい進展に今更びっくりします。このサイトを始めた時、これは日本語で唯一のエホバの証人の啓蒙ページでした。今では英語はもとより、日本語だけでなく、世界の主要な国の言語でエホバの証人に関する情報が、より効果的に流されるようになりました。その分だけこのサイトの存在価値も低下してきているようですが、それはそれでこのサイトの主要な目的が達成されたことであり、満足すべきことと考えています。

☆昨年、エホバの証人の今後の動向を予想してみましたが、この一年間の動きを見ても、この傾向が続いていることを確認できるように思えます。すなわち、ものみの塔協会は少しずつその非常識、荒唐無稽の教義や規則を変更し、「世俗宗教」の色彩を濃くしています。このことは一部の信者と家族にとっては歓迎すべきことであり、確かにそれらの人々にとっては、より胸を張って「私はエホバの証人」と名乗ることができ、家族もより常識的な一般人の生活に近い生活ができるようになっていくかも知れません。しかしそのことは他方で、ものみの塔協会の支配体制の弱体化につながり、世間一般の「世俗宗教」と同じ苦しみと悩みを背負わなければならないでしょう。信者の増加は頭打ちになり、間違いに気づいて離脱する信者の増加につながると思われます。「風通しの良い」教団は外部からの浸透に対しての防御が弱まることでしょう。

☆「非常識、荒唐無稽の教義」の最たるものは「輸血拒否」の教義でしょう。この編集者の知る限りでは、協会はこの数年、この教義の変更をせざるを得ない苦しい立場に追い込まれています。世界中の現役あるいは元エホバの証人、医療機関連絡委員会の長老たちが、直接統治体に対してこの教義の矛盾と一貫性のなさを指摘して、教義変更の要請を続けてきました。本年は更にこの圧力が高まっています。(詳しくはエホバの証人と血の教えのウェブサイトをご覧下さい。)もはやこの「死の教義」の変更は時間の問題と思われます。そしてつい最近、本年三月に、ものみの塔協会は、その統制の乱れを公の文書で自ら暴露し、東ヨーロッパの小国であるブルガリアで他の国に先駆けて、輸血の「自由化」に踏み切りました。本部の計算では、このような小国で取り交わされた調停など多国のエホバの証人など知る由もないと考えたのでしょう、ブルックリンの本部は「教義の変更はない」との声明を広報室を通じて発表しました。(詳しくはこのニュースのページをご覧下さい。)

☆老衰の著しいエホバの証人の統治体のこのような目論見とは裏腹に、最近のエホバの証人に関する情報は、インターネットに乗って瞬時のうちに世界を駆け巡ります。協会は今、矛盾を隠すために矛盾の上塗りをしています。協会はこのような姑息な取り繕いをやめ、いさぎよく率直に、その独裁体制の支柱となってきた、そして世界で何万というエホバの証人を死に追いやったこの荒唐無稽の教義を今こそ撤回し、世界に対してその「血の罪」を謝罪する時でしょう。今後の数年はこの大きな課題に向けて、世界中のものみの塔批判勢力が結集していくことでしょうし、私も医師としての立場から積極的に発言し、またインターネットを通じて世界にこの悲劇を訴え続ける所存です。日本でも最近の輸血裁判を通じて、その時機は熟してきたと言えるでしょう。今後の一年に注目しましょう。


一周年を迎えて(5-31-97筆)

☆早いものでこのウェブサイトを始めてからちょうど一年たちました。多くの読者の方々の励ましと投稿によって内容が少しずつ充実できたことを、ありがたく感謝いたします。このサイトの構想を思いついたのはもう二年くらい前でした。それまで、エホバの証人に関するエホバの証人以外の立場からの情報を得るのは、数冊の本があるだけで、それもなかなか普通の書店では手に入らないようなものでした。私がインターネットに興味を持ち出した1994年頃、最初に驚いたのはすでに幾つかのウェブサイトが活発な情報提供を行っており、しかも bulletine board ではそれまで聞くことのできなかったような元エホバの証人の人々の議論が聞かれたことでした。当時から日本におけるエホバの証人の急成長に懸念を抱いていた私は、すぐにこれを日本語でも始めて、日本人にも広くエホバの証人に関する情報を広める必要がある、と決心しました。しかし、何しろ長年の間アメリカのコンピューターしか使ったことがなく、日本語をアメリカのコンピューターでどのように使ったらいいかが最初の課題でした。最初はアメリカやカナダの幾つかの大学で開発した、日本語変換プログラムをダウンロードして使ってみましたが、結局日常的に日本語を使えるまでにはいきませんでした。結局日本語版のウィンドウズを導入して、これは解決しましたが、次の難関はインターネットでどのように日本語を使うかの問題でした。それまでは私は職場の Unix のシステムと AOL, Prodigy のようなオンラインサービスを使っており、これに日本語を導入することは不可能でした。昨年の春頃、本格的な試験を始めた当時、英語のインターネットを通じて、元エホバの証人である村田憲一氏と知り合いになれました。結局私は村田さんにしつこくお願いして、日本語のコードを色々操作しては、日本語が送受信できるシステムを探すことになりました。この時、村田さんのご援助がなければ、私が日本語のインターネットを使えるようになるのは遥かに遅れたことでしょう。結局、ネットスケープ2.0が出て、日本語の処理が完全にできるようになったこと、オンラインサービスを止めてインターネットに直接TCP/IP接続ができるようになったことで、全ての問題が解決しました。今でこそ、日本とアメリカとの間で、日本語のインターネットで自由に交信できるのが当たり前のようですが、ほんの数年前までは、アメリカの機器とソフトを使ってこれを行うのは一苦労だったのです。

☆このウェブサイトが開始して以来、他にも沢山のウェブサイトが日本語で登場しました。そして、本年一月の、ものみの塔協会の公式のウェブサイトが開始されて以来、「本家に続け」とばかりに、待ちかまえていたエホバの証人のコンピューターマニアが雨後の竹の子ごとく、ウェブサイトを開始しました。そもそもエホバの証人の特に男性は、ものみの塔協会の教育に関する方針もあって、伝統的にコンピューター関係の職業に就いている人が多く、彼らの間にウェブサイトを作りたい要求があるのは当然でしょう。この間、ウェブサイトを通じて、エホバの証人の活動にどのような変化が起こったかを評価するのはまだ時期尚早でしょう。しかし、確かなことは、日本語圏でも英語圏でも、多数の方々が、ものみの塔協会の欺瞞的体質にインターネットを通じて始めて気がつき、研究を止めたり、真剣に組織を離脱することを考えるようになったことです。また、家族がインターネット活動を通してエホバの証人に対する対応法を学び、それが効果を奏した例も報告されています。それらの数が、ものみの塔協会の誇る世界的急成長にどれだけの実質的な衝撃を与えるかは、これからの推移を見なければ何とも言えません。

☆ものみの塔はこれからどのように変わるのでしょうか。彼らはインターネットがエホバの証人の活動に影響を与えていることに無知であるはずはありません。私の得た、ブルックリン本部の内部情報によれば、統治体の世代交代、最近の一連の教義の変更(「この世代」の教義「羊と山羊」の教義など)に伴う他の教義の変更の必要性から、今後次々と新しい教義の変更が、少しずつ出てくることは間違いないようです。ある人によれば、結局ものみの塔は、モルモン教の歴史的発展と同様、歴史的時間経過とともに、カルト的非常識な習慣や教義を捨てて、世の中に密着した一大教団に落ち着くであろうと言いますす。私はこの予測におおむね賛成です。少数の人々は、ものみの塔がますますカルト色を強めるという見方をとり、ハルマゲドンが何年経っても実現しない結果、ますます先鋭化し、自滅に陥るという予測をしていますが、私の見たり聞いたりする範囲では、その可能性は少ないと思います。

☆ものみの塔の変化に伴い、このウェブサイトの使命も内容も変化していくことでしょう。どうか今後の推移に注目すると共に、このサイトをますますご支援頂ければ幸いです。本職が多忙なこと、個人的な交流が増えたこと、家族のエホバの証人との対応にますます時間が必要とされること、などから内容の充実は遅々としておりますが、当分の間細々とでも続けて行くつもりですので今後ともよろしくお願い申しあげます。


私の動機(5-20-96筆)

私の名前は村本治と申します。私は日本で生まれ、35歳まで日本で教育を受け仕事をして参りました。私の職業は医師です。専門は神経内科です。12年前にアメリカに移住し、現在アメリカ、オレゴン州のポートランド市に住みながら日夜、神経病の患者さんの医療にたずさわっております。

私の現在の興味は宗教、特に新興宗教の人間社会と個人の精神衛生に及ぼす影響を考え研究することです。現在私の最大の関心はエホバの証人と「ものみの塔協会」の活動です。私の妻と長女がエホバの証人です。この二人の生き方を見守る中で私はこの宗教に関する世界的な啓蒙運動を進めなければいけないということに気がつきました。そんな中で私はこのインターネットの有用性に着目しました。

私の最も憂慮していることは世間一般の人々が余りにエホバの証人を知らないことです。ある日本人は「これはアメリカにもあるのですか?」とびっくりしておられました。そのかたはこれがアメリカで19世紀後半に作られた宗教であることを知りませんでした。また別の日本人は「聖書を使っているからこれはキリスト教かと思いました」とおっしゃり、キリスト教との違いが全く分からないために多くの日本人がこの宗教に参加していることを教えて下さいました。これはアメリカでも同じですが、日本は特にエホバの証人に関する情報が一般の人々の間に行き渡っていないように私は思います。

もちろんエホバの証人が玄関を訪ねてくれば、その人達は沢山の情報を与えてくれるでしょう。問題は彼らが絶対に見せない、話さない、そしてある時はエホバの証人の本人さえ知らない、この団体の隠された事実があるのです。いかに多くの人々がこれらの情報を知らないで信者となり、出口が見付けられなくなっていることでしょう。なんとか出られた人々は口々に「もしこのような実態を知っていれば最初から信者にならなかったでしょうし、もっと早くに出られたかも知れない」と話しておられます。その間にも何人もの貴重な命が輸血拒否の不可解な教理の犠牲として失われているのです。私のこのウェブページを通じての最大の願いは一人でも多くの日本人、そして世界中の人々に、ものみの塔協会が決して教えようとしないエホバの証人の実態を知って頂くことです。その目的の為に私はより大きなウェブページを建設していく予定です。


自己紹介

  • 生い立ち
    1948年12月東京都杉並区に生まれる。
  • 学歴
    都内某私立高校卒。一浪して都内某国立大学入学。1968年〜1970年の学園紛争(闘争?)のまっただ中で信仰と人生を模索。1970年考えるところあって医学部進学。1974年医学部卒。
  • 職歴
    精神神経学、神経内科学の研修の後、某国立大学神経内科学講師。1984年渡米。ニューヨーク・アルバート・アインスタイン医科大学、マサチューセッツ大学で神経科学の研究と臨床研修を続ける。1991年オレゴン州ポートランドに移り、カイザー・パーマネンテ(Kaiser Permanente Northwest Region – オレゴン・ワシントン州をカバー)の神経内科医として現在に至る。
  • 趣味
    オレゴン・ワシントンの自然を散策すること。海岸、原生林、雪山、河川、湖、砂漠のハイキング。スキー(ポートランド郊外の Mt Hood は夏スキーのメッカ)。ピアノ(クラシック)。しかしこのウェブサイトを始めてからは趣味に使える時間がほとんど無くなりました。

オレゴン州 Cape Sebastian の近くにて