エホバの証人、輸血を実質的に解禁。信者には配慮示さず不誠実。

要点:教義上は全血輸血の禁止が残っていますが、日本の通常医療で使用される主要な輸血製剤は全て個人判断となりました。制度変更の実質を見る限り、「日本では輸血が事実上解禁された」と評価し得る内容です。一方、教団は内部文書で過去の殉教者、現在医療を受けている信者への敬意や配慮を示していません。児童や成人のエホバの証人の支援にあたる方は、エホバの証人組織が不誠実な団体であることを前提として被支援者に当たることが必要です。

2026年9月18日、エホバの証人の統治体は、これまで信者が受け入れてはならないとしてきた赤血球、白血球、血漿、血小板について、医療や外科治療に使用するかどうかを信者一人一人の判断に委ねる方針を公表しました。

他人の全血をそのまま輸血することへの禁止は残されています。しかし、日本で実際に行われている輸血のほぼ全ては、赤血球製剤、血小板製剤、血漿製剤などを使用する成分輸血です。したがって今回の変更は、日本の医療実務において、エホバの証人の輸血が実質的に解禁されたものと評価できます。

長年にわたり、信者本人だけでなく、子ども、家族、医療関係者の判断にも重大な影響を与えてきた「輸血拒否」の原則が、大きく転換した可能性があります。本ページでは、公式動画、信者向け資料、医療関係者の見解を掲載し、現時点で確認できている情報と未確認情報を整理しています。

最終更新日:2026年9月21日

1)2026年9月18日の統治体※のビデオレター

(サイト運営者の解説)このビデオはエホバの証人の統治体(最高指導者)による、信者向けのビデオレターです。記録のためにビデオをこのWEBサイトにも掲載しています。教団WEBサイトでご覧になりたい場合はこちらをご覧ください。 

※統治体とはエホバの証人の最高指導者のことです。統治体やエホバの証人の組織構造について知りたいかたはこちら

動画ファイルから生成AIによりスクリプトを作成しました

英語の文字起こし全文は、タイムコード付きでこちらに保存しました。

兄弟姉妹、ようこそ。今回の話は緊急な内容だったので、統治体はまず英語でこの動画をリリースすることにしました。ほかの言語でも、翻訳され次第リリースされていきます。

前回の話以降、「永遠の幸せ」国際大会が7つの場所で開かれました。カナダのカルガリー、エクアドルのキト、リトアニアのビリニュス、ドイツのハンブルク、オランダのユトレヒト、南アフリカのヨハネスブルク、アメリカのミルウォーキーです。こうした大会に、69カ国から来た3万人以上のデリゲイツが参加しました。最高出席者数の合計は16万5000人を超え、1428人がバプテスマを受けました。大会が開かれた町の人たちに、エホバの証人について知ってもらういい機会になったはずです。

あと3つ、2026年中に計画されている国際大会が残っています。楽しみですね。来年の大会に向けても、着々と準備が進められています。2027年の大会のテーマは「イエス 『道』」というものです。19の国や地域で、21の国際大会も開かれる予定です。

以前にもお知らせした通り、この2026年9月、私たちは「いつまでも幸せに暮らせます」の冊子を使って聖書レッスンを始めるキャンペーンをしています。「聖書があなたにも役立つといえるのはどうして?」というタイトルの特別講演にも招待しています。そうやって、みんながエホバとの友情を深められるようお手伝いできるというのは、本当にうれしいですね。

私たちはみんなを愛しているので、聖書を学んでほしいと思って良い知らせを伝えています。誰かと聖書レッスンを始めることを目標にしてみるのはどうですか。イエスの弟子になれるよう誰かを助けたいという気持ちを、祈ってエホバに伝えましょう。エホバはきっと、「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人」を探すのを楽しめるよう助けてくれます。そして結果がどうであれ、一生懸命頑張る私たちを見て喜んでくれます。

私たちはみんなを愛しているので、良い知らせを伝えるだけでなく、大変な思いをしている人たちのことも気に掛けます。ここ数カ月の間に、世界各地の兄弟姉妹がいろいろな自然災害に遭いました。ベネズエラや日本、コロンビアでは大きな地震があり、ヨーロッパや北アメリカでは山火事が起きました。アジアでは土石流も発生しました。

ベネズエラでの救援活動はどんな様子でしょうか。中には崩れた建物の下敷きになってしまった人もいましたが、仲間の兄弟姉妹に救出してもらえました。近隣の仲間たちは、7800万円以上に相当する食べ物や服などの物資を提供してくれました。そして支部事務所により、被災した人たちが救援物資を受け取るための場所が開設されました。最近、統治体のジェイコブ・ラムフ兄弟と、調整者委員会の援助者のトロイ・スナイダー兄弟が被災地を訪問して、兄弟姉妹を元気づけました。

災害などの悲惨なことが起きると、私たちは兄弟姉妹やその地域の人たちが無事かどうか心配になります。命はエホバからの大切な贈り物だと思っているからです。詩編 36:9に、エホバは「命の源」と書かれている通りです。

エホバに仕える人たちはこれまでずっと、命は神聖なものだというエホバの見方を大事にしてきました。だからこそ戦争に関わりませんし、おなかの中の赤ちゃんの命を奪うこともしません。むやみに命を危険にさらすようなことも避けます。

エホバは、命を表す血も神聖なものと見ています。創世記 9:4でノアにこう命じました。

「ただし、血を含む肉を食べてはならない。血は命だからである」。

1世紀の使徒たちも、聖なる力に導かれて、クリスチャンは血を避けるべきだということを教えました。使徒 15:28, 29に書かれている通りです。

「というのは、聖なる力によって私たちは、次の必要な事柄以外、皆さんに何の重荷も加えないのがよいと考えたからです。すなわち、偶像に犠牲として捧げられた物、血、絞め殺された動物、性的不道徳を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば、皆さんは穏やかに暮らせます。健やかにお過ごしください」。

クリスチャンは、血抜きされていない肉を食べてはいけないということです。でもこれは、単なる食べ物についての規則ではありません。この命令に従うことで、命に対するエホバの見方を大切にしていることを表せます。

これには、血を取り入れないという以上のことが関係しています。命を大切にしてほしいという、この聖句に表れているエホバの気持ちからすると、命を粗末にするようなことも避けるべきです。人の命を奪うことはもちろん、命をむやみに危険にさらすようなこともしません。そのようにしてエホバの証人は、命と血を神聖なものと見ているエホバの見方に沿って行動するため、ベストを尽くしてきました。

血に関して言えば、エホバの証人は、使徒 15章の命令からすると、全血を取り入れることは、口からであれ輸血によってであれ避けるべきだ、献血も避けるべきだと理解しています。そうすることで、体の健康もエホバとの友情も守られてきました。

さらに私たちは、同じことが血液の4つの主要成分についても当てはまると考えてきました。赤血球、白血球、血漿、血小板の4つです。医学的に見ても、輸血を避けた方が治療がうまくいき、リスクも減らせるということが明らかになっています。

でも医学の進歩に伴って、医療が関係するいろいろな場面で、聖書の教えにどう従えるかについての疑問がたくさん出てきました。それで「2026 統治体からの話(2)」の中で、次のように言われていました。

「クリスチャンはモーセの律法に従う必要はありません。でも、使徒たちの時代に与えられた、血を避けるようにという命令には従います。聖書には、自分の血を医療目的で使うことについては特に何も書かれていません。それで、自己血を使う治療法については、クリスチャン一人一人が自分で考えて決定します。健康を守るためにどんなことをするかの判断も、人によって違いますよね。それと同じです」。

このように見方が調整されたことで、ガラテア 6:5がこの分野にも当てはまることになりました。こんな聖句です。

「人はそれぞれ、自分の荷を自分で負うのです」。

統治体は、祈ってさらに検討を重ねた結果、同じ考え方が、ほかの人の血液に由来する血液の4つの主要成分についても当てはまるという結論に達しました。赤血球、白血球、血漿、血小板、この4つの成分です。

それで今後は、クリスチャン一人一人が、医療処置や手術において血液の4つの主要成分の使用を受け入れるかどうかを、自分で決めることになります。自分の血液を、主要成分または血液分画という形で提供するかどうかも、各自で判断します。

では統治体は、血液の主要成分を医療目的で使ってもいいかという問題を軽く見ているんでしょうか。決してそんなことはありません。これは本当に大事なことだという統治体の考え方は変わっていません。

でも、聖書には血液に由来するものや血液から作られたものをどう見るべきかは書かれていないので、私たちはコリント第一 4:6にある通り、「書かれている事柄を越え」るわけにはいきません。そして私たちは、コリント第二 1:24に書かれている次のことも真剣に受け止めています。

「私たちは皆さんの信仰の主人ではありません。皆さんの喜びのために働く仲間です。皆さんは自分の信仰で立っているからです」。

では、血液の4つの主要成分のいずれかを受け入れるかどうかについて、どう考えたらいいんでしょうか。一人一人が、決定する前に祈って関係することを調べ、よく考えることが大切です。もしそうしないで軽く考えるなら、良心やエホバとの絆に悪影響が出てしまいます。

ほかの人の血液に由来するものを使った医療処置を受け入れるかどうかを決めるにあたって、どんなことを考えることができるでしょうか。人によって考え方は違うことでしょう。ある人は、血液に由来するものは何でも避けるべきだと考えるかもしれません。一方、血液中に占める割合が小さいものについては、受け入れても構わないと考える人もいるかもしれません。

実は、血液の主要成分の中には、これまでも一部のクリスチャンが受け入れてきた血液分画よりも、血液中での割合が小さいものがあります。いずれにしても、ローマ 14:12の次の言葉を覚えておきたいものです。

「私たち一人一人は、神に責任を問われることになるのです」。

皆さんがこのことについて十分な情報に基づいて決定できるように、統治体は分かりやすい表を準備しました。この表には、血液に由来するもののうち、比較的よく使われているものがリストアップされています。

この表と、この調整に関係する「読者からの質問」の記事が、jw.orgやJW Library®で見られるようになります。また、この点についてさらに詳しく取り上げた「ものみの塔」の研究記事も準備中です。医療上の指示書も、近いうちに改訂される予定です。

こうした情報などを基に、一人一人がよく考えて、ほかの人の血液に由来する血液の主要成分や血液分画を受け入れるかどうかを決定します。会衆が個人の決定に関与することはありませんし、ほかの人の決定についてとやかく言うべきではありません。

基本的には、医療上の指示書で指定した代理人以外の第三者に、自分の決定について話す必要はないでしょう。でも望むなら、医療機関連絡委員会の兄弟たちに相談することができます。兄弟たちは、皆さんの良心を尊重してくれる医師を探す面でもサポートしてくれます。皆さんが決めたことを、ほかの人に漏らすことはありません。

仕事上、血や血液に由来するものを扱わないといけないという場合はどうでしょうか。「ものみの塔」1999年4月15日号の「読者からの質問」に、いい決定をして晴れやかな良心を守るために役立つ考え方が載せられています。

皆さん、なかなか濃い内容だったので、少し混乱しておられるかもしれません。ここでまとめてみたいと思います。

エホバの証人は、全血の輸血を受け入れません。誰かのために全血を献血することもしません。血そのものや、血抜きされていない肉を食べることもしません。

一方、ほかの人の血液に由来する血液の主要成分や分画を受け入れるかどうかは、一人一人が判断します。自分の血液を主要成分や分画に限って献血するかどうかも、各自の判断に任されています。

皆さんにはっきりお伝えしておきたいことがあります。エホバからの貴重な贈り物である命と血を大切にするという、統治体のスタンスは変わっていません。同時に統治体は、良心が関係する決定については、一人一人がエホバのことを考えて決定する必要があるということも理解しています。

それで皆さんにはぜひ、血液に由来するものを受け入れるかどうかについて、祈りながら関係すること一つ一つをよく調べて、真剣に考えていただきたいと思っています。そうすることで晴れやかな良心を守り、命の源であるエホバを心から敬っていることを表せます。

信仰と愛を抱いて、エホバと組織にしっかり付いている皆さんのことを、心から愛しています。深く感謝しています。

エホバの証人の世界本部から、JW Broadcasting®でした。


2)信者向けの文書(「読者からの手紙」)

2026年9月18日には、信者向けの「読者からの手紙」という欄で同趣旨のことがテキスト中心で記載されています。21日、日本語で翻訳が掲載されましたので更新しました。

英語版 日本語版

読者からの質問

エホバの証人はどのように命を大切にしていますか

エホバの証人はこれまでずっと,命は神聖なものであるというエホバ神の見方に倣うよう努力してきました。それで,戦争を支持したり,堕胎をしたりしません。命を危険にさらすような無謀なこともしません。さらに,エホバは命の神聖さを血と結びつけています。創世記 9章4節でノアにこう命じました。「ただし,血を含む肉を食べてはならない。血は命だからである」。使徒たちも聖なる力に導かれて,クリスチャンに血を避けるようにという同様の命令を出しました。

「というのは,聖なる力によって私たちは,次の必要な事柄以外,皆さんに何の重荷も加えないのがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲として捧げられた物,血,絞め殺された動物,性的不道徳を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,皆さんは穏やかに暮らせます。健やかにお過ごしください」。(使徒 15:28,29

つまり,クリスチャンは血や血抜きされていない肉を食べてはいけないということです。でも,これは単なる食べ物についての規則ではありません。クリスチャンはこの命令に従うことで,神の命に対する見方に倣うことができます。この命令に従うことには血を体に取り入れないようにすることが含まれます。根底にある聖書の原則は,命を大切なものと見るということです。それで,殺人や,命を危険にさらすような不注意で無謀なこともしません。(創世記 9:4-6。詩編 36:9)こうした全ての面で,エホバの証人は,命と血は神聖なものであるというエホバの見方に沿って行動するよう努力してきました。

エホバの証人は使徒 15章の血に関する記述からすると,全血を取り入れることは,口からであれ輸血によってであれ避けるべきだ,と理解してきました。献血もすべきではないと理解してきました。そのようにして信仰面でも身体面でも守られてきました。また,血を避けるという原則が血液の4つの主要成分(赤血球,白血球,血漿 [けっしょう],血小板)にも当てはまると考えてきました。医学でも,輸血や輸血に伴うリスクを避ける治療法の効果性が明らかになってきました。

とはいえ,医学が進歩して新しい治療法が出てきているので,健康上のいろいろな状況で聖書の原則をどう当てはめればよいかについて,多くの疑問が生じています。それで,「2026 統治体からの話(2)」にはこうありました。「クリスチャンはモーセの律法に従う必要はありません。でも,使徒たちの時代に与えられた血を避けるようにという命令には従います。聖書には,自分の血を医療目的で使うことについては特に何も書かれていません。それで,自己血を使う治療法については,クリスチャン一人一人が自分で考えて決定します。健康を守るためにどんなことをするかの判断も,人によって違いますよね。それと同じです」。このように聖書の理解がより明確になったため,クリスチャン一人一人はガラテア 6章5節の,「人はそれぞれ,自分の荷を自分で負うのです」という言葉の通りに行動できます。

統治体はよく祈ってさらに検討した結果,他の人の血液に由来する4つの主要成分(赤血球,白血球,血漿,血小板)にもこの原則が当てはまると判断しました。それで医療処置や手術において4つの主要成分を使用するかどうかは,クリスチャン各自が自分で決定する必要があります。献血についてはどうでしょうか。他の人のために主要成分や分画を提供するという明確な目的で献血を行うかどうかについても,各自が決めます。

統治体は,血液の主要成分が関係した治療を受けるかどうかについて軽く見ているということですか。いいえ,統治体はこれをとても重要なことと見ています。でも,聖書には,血液に由来する可能性のあるさまざまな製剤について書かれていないため,統治体はコリント第一 4章6節にある通り,「書かれている事柄を越えてはならない」と考えています。また,コリント第二 1章24節の言葉の大切さも理解しています。「私たちは皆さんの信仰の主人ではありません。皆さんの喜びのために働く仲間です。皆さんは自分の信仰で立っているからです」。

クリスチャンは,血液の4つの主要成分のうちの1つかそれ以上を受け入れるかどうかについてどう考えるべきですか。これからもクリスチャン一人一人は,決定する前に関係する事柄をよく祈って考える必要があります。このことを軽く見るなら,クリスチャンとしての良心やエホバとの絆に悪影響が出てしまいかねません。

他の人の血液に由来する製剤の使用が関係する医療上の決定を下すとき,クリスチャンはどんなことを考慮できますか。クリスチャン一人一人が下す決定は異なるでしょう。ある人は血液中のどんなものも取り入れることは良くないと考えて,そうした製剤全てを受け入れないかもしれません。別の人は,全血中に占める割合が小さいという理由で特定の製剤を受け入れるかもしれません。例えば,ある主要成分の全血中に占める割合は,一部のクリスチャンがすでに受け入れていた分画の割合よりも小さいことがあります。いずれにしてもローマ 14章12節にある通り,「私たち一人一人は,神に責任を問われる」ことになります。

クリスチャン一人一人が十分な情報に基づいて決定できるようにするため,統治体は,全血由来の製剤という表をリリースすることを承認しました。この表はjw.orgで入手できます。血液由来の比較的よく使われる製剤の幾つかが挙げられています。

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こうした情報などをもとに,一人一人がよく考え,他の人の血液由来の主要成分や血液分画を受け入れるかどうかを決定します。会衆が個人の決定に関与することはありませんし,誰も他の人の決定をとやかく言うべきではありません。 a

血液や血液製剤を扱う仕事をすることについてはどうですか。「ものみの塔」1999年4月15日号の「読者からの質問」の記事に,良い決定をして晴れやかな良心を守るために役立つ考え方が載せられています。

今回の内容をまとめてみると,エホバの証人は全血の輸血を受け入れませんし,献血した血液が全血輸血として使用される場合は献血をしません。また,血を食べることも,血抜きされていない肉を食べることもしません。でも,他の人の血液由来の主要成分や分画を受け入れるかどうかは一人一人が決定します。さらに,他の人のために主要成分や分画を提供するという明確な目的で献血を行うかどうかについても,クリスチャン各自が決めます。

覚えておきたい点ですが,エホバからの貴重な贈り物である命と血を大切にするという統治体の考えは変わっていません。同時に,エホバの前で良心が痛まない決定をする責任が一人一人にあるということも理解しています。それで統治体は,エホバの証人全てに,血液由来の製剤が関係する医療上の決定をするとき,自分の状況に関連すること全てをよく祈って考えるよう勧めています。そうすることで,クリスチャン一人一人は晴れやかな良心を持ち,命を与えてくれたエホバを心から敬っていることを表せます。(テモテ第一 1:5

注記: この記事は「2026 統治体からの話(6)」で伝えられた情報をまとめたものです。今後「ものみの塔」で取り上げられる予定です。

3)なぜ「輸血は事実上解禁」と言えるのか?

なぜ「輸血は事実上解禁」と言えるのか?(枠内は生成AIを利用しました)

なぜ「実質的な輸血解禁」と言えるのか。結論から言えば、エホバの証人が「全ての輸血を認めた」わけではありません。全血の輸血は今後も禁止されています。しかし、現在の医療で一般的に行われる輸血の多くは全血輸血ではなく、血液を成分に分けて投与する「成分輸血」です。

今回の教理変更では、その成分輸血に使われる主要成分が、一律禁止から信者個人の判断へ移されました。このため、教義上は全血禁止を残しながら、医療現場では多くの輸血を受けられるようになったという意味で、「実質的な輸血解禁」と表現できます。

そもそも輸血とは何か

血液は、赤血球、白血球、血小板という細胞成分と、それらを運ぶ液体である血漿からできています。これらを分離せず、そのまま患者に入れるのが「全血輸血」です。

一方、現在の医療では、患者に必要な成分だけを選んで投与する「成分輸血」が一般的です。例えば、大量出血や重い貧血では赤血球製剤、血を固める力が低下した場合には血小板製剤や新鮮凍結血漿が使われます。

厚生労働省の「血液製剤の使用指針」も、成分輸血が導入されて30年以上が経過し、現在も全血が使われるのは「ごく一部」であると説明しています。かつて全血が使われていた症例でも、現在は赤血球製剤だけで優れた治療効果が得られることが確認されています。

つまり、一般の人が病院で「輸血を受ける」と聞いて想像する治療の多くは、実際には全血輸血ではありません。赤血球、血小板、血漿など、血液から分離された成分を投与する治療です。

従来は主要4成分も禁止されていた

これまでエホバの証人は、全血だけでなく、赤血球、白血球、血漿、血小板という4つの主要成分を受け入れることも禁止していました。教団の公式記事も、全血を口または輸血によって取り入れないという原則を、これら4つの主要成分にも適用してきたと説明しています。

これに対して、アルブミン、免疫グロブリン、血液凝固因子など、主要成分をさらに細かく分離して作る「血液分画」については、以前から信者個人が受け入れるかどうかを判断できました。

したがって、従来の線引きは「全血と主要4成分は禁止、それより細かい分画は個人判断」というものでした。赤血球輸血、血小板輸血、新鮮凍結血漿の投与など、医療現場で通常「輸血」と呼ばれる主要な治療は、基本的に禁止の範囲に含まれていました。

今回、主要4成分が個人判断になった

2026年の教理変更により、他人の血液から分離された赤血球、白血球、血漿、血小板についても、受け入れるかどうかを信者一人一人が決めることになりました。

教団の公式発表には、「それぞれのクリスチャンが、全ての医療処置や外科治療における4つの主要成分の使用について、自分で決定しなければならない」と明記されています。

これは単なる例外規定ではありません。これまで一律に禁止されていた赤血球輸血、血小板輸血、血漿の投与などを、本人が良心上受け入れられると判断すれば、受けられるようになったということです。

大量出血や重度の貧血に対して赤血球製剤を受け入れることも、血小板の減少による出血に対して血小板製剤を受け入れることも、本人の判断で可能になります。医師や病院から見れば、これらは明確に「輸血」です。

自己血の使用も個人判断になった

これに先立つ「2026 統治体からの話(2)」では、患者本人の血液を医療や手術に利用することも、個人が判断する問題に変更されました。手術前に自分の血液を採取しておく方法や、手術中に失われた血液を回収して戻す方法などについて、一律の禁止ではなくなったということです。

これに今回の主要4成分の変更が加わったことで、本人の血液を利用する治療と、他人の血液から作られた主要成分を使う治療の両方が、広く個人判断の領域に移りました。

さらに、他人が使用する成分や分画を作る目的で献血するかどうかについても、個人で決定するとされています。受ける側だけでなく、提供する側についても、従来の一律禁止が解除されたことになります。

会衆が判断に介入しないことも大きな変更

今回の発表では、会衆は信者の決定に関与せず、個々の信者も他人の判断を批判してはならないとされています。また、本人は医療上の代理人などを除き、自分がどの成分を受け入れるかを第三者に話す必要はないと説明されています。

これは、主要成分を受け入れることが教団から一律に禁止される行為ではなくなったことを意味します。個人的に輸血を拒否する信者が残るとしても、それは教団が全員に拒否を命じているからではなく、本人が自分の良心に基づいて選択した結果という位置付けになります。

「全面解禁」ではないが「実質的解禁」である

注意すべきなのは、全血輸血については、今後も禁止が維持されていることです。また、主要成分の使用を教団が積極的に推奨したわけでもありません。信者は祈り、十分に調べたうえで、自分の良心に従って受け入れるか拒否するかを決めるとされています。

したがって、「エホバの証人が全ての輸血を解禁した」「輸血拒否の教義を完全に撤回した」と表現するのは正確ではありません。

日本で使われる輸血製剤旧JW方針2026年9月18日以降
赤血球製剤原則禁止個人の良心で判断
血小板製剤原則禁止個人の良心で判断
新鮮凍結血漿原則禁止個人の良心で判断
白血球原則禁止個人の良心で判断
血液分画製剤従来から個人判断個人判断
自己血2026年3月まで制限2026年3月から個人判断
全血輸血禁止依然禁止

一方で、現在の医療では全血輸血が行われる場面は限られ、赤血球、血小板、血漿などの成分輸血が中心です。その主要な成分輸血が「教団による一律禁止」から「信者個人が受け入れられる選択肢」へ変更された以上、医療実態に照らせば、輸血の大部分が実質的に解禁されたと評価できます。

最も正確に表現するなら、「エホバの証人は全血輸血の禁止を維持しているが、現代医療で一般的に行われている主要な成分輸血を一律禁止から個人判断へ変更した。このため、今回の教理変更は、医療実態から見れば『実質的な輸血解禁』に当たる」と表現できそうです。

日本国外での影響は?(枠内は生成AIを利用しました)

国際的に見ると、今回の変更の効果はかなり大きいのですが、「ほぼ全面解禁」と言える度合いは国によって異なります。決定的な変数は、その国の輸血医療が「成分輸血中心」なのか、「全血輸血を今も相当程度使う」のかです。

まず前提として、9月18日のJW公式発表は地域限定ではなく世界的な方針変更です。他人由来の赤血球・白血球・血漿・血小板は一律禁止ではなく「各信者の個人的な良心による判断」となり、一方で他人の全血輸血の拒否は維持されています。したがって、以下でいう「解禁」は厳密には「教団による一律禁止が解除され、個人判断になった」という意味です。

調査結果を先にまとめると、英国、フランス、オーストラリアなどでは日本とかなり近く、「通常診療における輸血のほぼ全面的な個人判断化」と評価できます。米国とカナダでは通常診療については同様ですが、近年、重症外傷で全血輸血が復活しているため、日本より「全血禁止」が実質的意味を持ちます。南アフリカでも全血の適応が一部残ります。インドなどでは地域・医療機関による差が大きく、低所得国全般では全血が依然重要なので、「ほぼ全面解禁」とまでは言いにくくなります。

国・地域現在の輸血体制全血の位置づけ今回の変更の実務的効果
英国赤血球・血小板・血漿中心通常供給ではほぼ使われない。外傷で研究中日本と同様、通常診療ではほぼ全面的に個人判断化
フランス成分輸血中心EFS自身が赤血球輸血が全血輸血に取って代わったと説明日本と非常に近い
オーストラリア赤血球・血小板・血漿中心標準供給は成分製剤日本と非常に近い
米国成分輸血中心重症外傷・病院前救護で全血が急増通常診療では非常に大きいが、外傷では全血禁止が残る
カナダ成分輸血中心全血を2022年承認、2025年から病院で臨床導入大部分は個人判断化。ただし外傷領域に例外が拡大中
南アフリカ成分輸血中心新生児交換輸血・大量出血等では全血の適応あり非常に大きいが、日本ほど完全ではない
インド都市部は成分輸血化が進むが地域差大全血も現実に供給されている都市大病院では大きいが、全国一律には「ほぼ全面」と言えない
低所得国全般成分分離能力が限定的全血が相対的に重要大きな緩和だが、全血禁止がなお医療上大きな制約になり得る

英国はかなり明確です。2025年に英国の血液サービスから供給された約216万単位は、赤血球約157万、血小板約29万、FFP等約26万、クリオプレシピテート約4.6万などで構成されており、通常供給統計に全血は出てきませんNHS Blood and Transplantも、通常の供給について「現在NHSBTはwhole bloodを製品として供給していない」と説明しています。したがって英国の普通の病院で患者が遭遇する輸血については、今回の赤血球・血漿・血小板の個人判断化によって、従来のJW禁止対象のほぼ全域が個人判断になります。

ただし英国でも事情が変わりつつあります。2026年には、重症外傷患者に対して低抗体価O型全血を病院到着前に投与するSWiFT試験が、英国の10の航空救急サービス、900人を対象として実施されています。つまり「通常医療では事実上ほぼ全面個人判断化」ですが、救急外傷領域で全血が復活すれば、JWの全血禁止は再び実質的な差になります。

フランスは日本以上に分かりやすい資料があります。フランス血液機構EFSは、「赤血球濃厚液の輸血が今日では全血輸血に取って代わっている」と明記しています。日常的に供給される主要製剤は赤血球、血小板、血漿です。2023年のEFSの輸血関連売上でも、赤血球濃厚液59.2%、血小板15.2%、治療用血漿2.6%など、成分製剤が中心です。 したがってフランスについては、「形式的には全血禁止が残るが、普通の輸血医療で必要になる製剤のほとんどは個人判断になった」という評価がかなり妥当です。

オーストラリアも同様です。政府およびAustralian Red Cross Lifebloodが患者向けに示している通常の輸血製剤は、赤血球、血小板、血漿、クリオプレシピテートなどです。Lifebloodは、全血献血後に血液を赤血球・血小板・血漿等に分離して患者に供給すると説明しています。 したがって、オーストラリアでもJW患者が赤血球・血小板・血漿を良心上受け入れるなら、通常の輸血医療との間にあった大きな障壁の多くがなくなります。

一方、米国は少し違います。米国全体の輸血の中心は依然として赤血球、血小板、血漿などの成分製剤で、CDCの全国調査でも年間1,000万単位を超える赤血球製剤が輸血されています。 したがって癌治療、手術、慢性貧血など一般的な輸血では今回の変更の効果は極めて大きいです。

しかし米国では、重症外傷の蘇生で「Low-Titer Group O Whole Blood(LTOWB)」がかなり本格的に復活しています。病院前輸血に占める全血の比率は2020年の10%から2024年には30.8%まで上昇しました。さらに全米650の外傷センターの重症出血患者では、全血を使用した割合が2020年の8.1%から2024年には25.1%まで増えています。

これは重要です。交通事故、銃創、重篤な出血など、まさに「輸血を拒否すると生命予後への影響が最も問題になりやすい場面」で、米国では全血が復活しています。したがって米国について「輸血が事実上全面解禁」と言い切るのは、日本よりも不正確です。「通常の輸血医療の大部分は個人判断になったが、重症外傷ではなお宗教上受け入れられない重要な治療選択肢が残る」という表現が適切です。

カナダも米国に近づきつつあります。Health Canadaは2022年に白血球除去全血(LrWB)を承認しました。当初は軍用でしたが、その制限が外され、Canadian Blood Servicesは2025年1月から臨床研究参加病院にLrWBを製造・供給し始めています。 まだカナダの日常診療の中心は成分輸血なので今回の効果は極めて大きいものの、「全血禁止が実務上まったく意味を持たない」とはいえません。

南アフリカは中間的です。South African National Blood Serviceは、「全血を使用する臨床的適応は限定的」とし、通常は赤血球濃厚液等の成分が適切だとしています。ただし、新生児の交換輸血と大量出血を全血の適応として明示しています。 つまり日常診療の大部分について今回の変更は非常に大きいものの、大量出血という生命に直結する場面では全血禁止が残ります。

インドになると状況はさらに複雑です。政府の教育資料自体は全血を赤血球、血漿、血小板などに分離する成分輸血を推進しています。 実際、北インドのある大病院では政策導入後、成分製剤の作製率が93.8%、患者に対する成分輸血率が97.9%まで上昇しました。こうした高度医療機関だけを見れば、日本とほぼ同じ結論になります。

しかしインド赤十字の血液センターは現在も、成分製剤と並んでwhole bloodを供給していると明示しています。 また全国レベルでは、血液センターの設備・成分分離能力に大きな地域差があることが以前から報告されています。 したがって、デリーなどの大都市の三次医療病院なら「ほぼ全面的な個人判断化」に近くても、インド全国について同じ表現を使うのは適切ではありません。

そして世界全体を理解する上で、WHOの最新データが非常に示唆的です。2023年データに基づく2026年のWHO報告では、採血された血液のうち成分分離される割合は、高所得国98%、高中所得国94%、低中所得国81%、低所得国52%です。

この数字は「輸血された製剤の何%が成分製剤か」と完全に同じではないので、そのまま輸血比率として使うべきではありません。しかし医療インフラの構造を示す指標としては非常に重要です。

高所得国では、採血された血液の98%が成分分離されています。したがって今回JWが赤血球・血漿・血小板を個人判断にしたことは、構造的にいえば「現代的な輸血システムのほぼ全体を個人判断の領域に移した」ことになります。

一方、低所得国では成分分離率は52%しかありません。裏返すと、約半分は成分分離されていない血液です。WHO自身も、低・中所得国では輸血が妊産婦出血や重症小児貧血に多く使われるとしています。 こうした地域では、病院に「赤血球製剤はないが全血ならある」という状況も起こり得ます。その場合、今回の教理変更後もJW患者は利用可能な全血を宗教上拒否することになります。

ここから、今回の変更の国際的な意味が見えてきます。これは単純に「JWが輸血を認めた」という変更ではありません。より正確には、「20世紀後半以降の先進国の輸血医療が、全血輸血から成分輸血へ移行した結果、2026年9月の教理変更によって、その現代的な輸血システムのほぼ全域が個人判断になった」と理解するとよいと思います。

そして興味深いことに、現在その反対方向の動きもあります。米国、英国、カナダでは重症外傷において全血を再評価する動きがあります。このため、JWの「全血だけは禁止」という新しい境界線は、高所得国でも完全に医学的意味を失ったわけではありません。

したがって、国際比較を踏まえた最も正確な表現は、「日本、英国、フランス、オーストラリアなど成分輸血が標準化された国では、通常の輸血医療については事実上ほぼ全面的な個人判断化である。一方、米国など全血が外傷医療で復活している国、あるいは血液成分分離能力が十分でない低・中所得国では、全血禁止は今なお実質的な医療上の制約となる」だと思います。

さらに重要なのは、これを「信者が輸血を受けるようになる」と混同しないことです。教団側が行ったのは赤血球等を「受けなければならない」としたことではなく、「受けても宗教上の違反とは一律に扱わない」という個人判断化です。したがって、実際の輸血受容率がどの程度変わるかは、今後の信者の意思決定、医療指示書の改訂、HLCの運用、各国の会衆での説明によって変わります。ここは制度変更の大きさと実際の行動変化を分けて評価する必要があります。

4.信者は置き去り、教団は向き合わず

輸血拒否によりどの程度のエホバの証人が亡くなったかについて正確な統計はありません。しかしながら2023年に日経メディカルが9210名の医師に対して行ったアンケート調査では、少なくとも241人が輸血できなかったために死亡したことが報告されています。このことが示すのは、より、多くのエホバの証人が本部組織が示した輸血拒否の教理を守ることによって亡くなったことです。

一方、教団は、今回の教義変更が「変更ではなく調整」であると述べ、事実を矮小化しようとしています。この背景には、少しでも亡くなった人への認識を示してしまうと、教団が信者の死亡を知っていたことを認めてしまう効果があると考えられるからです。後の法務的なリスクに備えた防御的な声明を発表していると理解できます。

しかし、「輸血拒否カード」等信者に距離を運用させるためのツールを教団本部で用意するとや、医療機関連絡委員会(HLC)等の組織を設けて、輸血拒否を本部を上げて支援してきたことを見ると、エホバの証人の信者が亡くなったことを本部が知らないと言うことを想定することは困難です。

つまり、知っていながら、亡くなった信者や遺族、また後遺症負った信者に対して哀悼の意を一切示さないと言う態度が見え隠れします。

教団は、自らが提唱した教理を守った信者を、過去には礼賛していました。下の画像に示すのは、エホバの証人の雑誌である「目ざめよ!」誌の表紙です。「神を第一にした若者たち」と言う表紙で掲載された写真は、輸血拒否の距離によって亡くなった若者たちです。

2026年、自ら輸血拒否の教理を大幅に転換し、そのことを「変更ではなく調整」と矮小化しつつ、過去に亡くなった信者に対しては一切向き合わない姿勢を示したのです。このことは、少なくとも極めて不誠実と評価するべきでしょう。

5.支援者の皆さまへ

エホバの証人と言う宗教がどのような宗教かは上に記載した通りです。上記資料は私個人の見解と言うよりも、客観的な資料を積み上げたものをどのように評価するべきかを検討したものです。その結果から見ても、極めて不誠実な団体であると言うことがお分かりいただけたと思います。

児童や成人のエホバの証人の支援にあたる方は、エホバの証人の信じる本部がどのような団体なのかと言うことを把握していただいた上で被支援者に接していただくことをお願い申し上げます。宗教によって若者を含めて多くの人が亡くなってきました。また行動制限を受けて、人生の大切な時期を失ってきたと後悔する人もいます。

被支援者が教団の圧力のもとで(※)人生の大事な時期を過ごしていることを念頭において、また、宗教虐待Q&Aを有効に活用していただき、児童虐待や人権侵害の防止に携わっていただけることを感謝申し上げます。

もう一つの中核教理である忌避によるメンタルヘルスへの影響など、エホバの証人の児童は圧力にさらされていると、言って良い環境で育ちます。

6.エホバの証人の輸血拒否・虐待に関する簡単な年表

★は教理の変更

★1944年〜51年ごろ エホバの証人が輸血拒否教理を明文化 成立時期について諸説あり

★1961年 1961年1月15日号『ものみの塔』63頁の「読者からの質問」は、輸血を故意に受け入れ、それを悔い改めない信者を会衆から排除できるという方針を示す。これにより輸血拒否は、個人の聖書理解にとどまらず、成員資格を左右する組織規則となった。

★1962年 1962年2月1日号に掲載された「読者よりの質問」は、「輸血の代わりに血液の一部を体内に注入して、生命を支えること」も正しくないとした。一方、血液が製造過程に関係するワクチンなどについては、「各人の判断すべきこと」としている。同じ記事の中ですでに、血液成分を用いる医療を原則として否定しながら、用途によって個人判断を認める区別が設けられていたことが分かる。『ものみの塔』1962年2月1日号「読者よりの質問」

★1978年 1978年9月15日号の「読者からの質問」は、赤血球、白血球、血小板、血漿などを、輸血可能な主要成分として挙げ、これらを「命を支える」目的で用いることは聖書の命令に反するとした。その一方、免疫グロブリンや血液凝固第VIII因子などの血清・血液誘導体については「灰色の領域」とし、受け入れるかどうかを各信者の良心に委ねた。同記事は、人工心肺装置や人工腎臓による透析についても、血液が継続的に流れ、体外の回路を自分の循環系の延長とみなせるかどうかを、本人が判断できるとしている。『ものみの塔』1978年9月15日号「読者からの質問」

1984年 エホバの証人のせっかん死事件が報道される

1985年 エホバの証人輸血拒否事件(いわゆる、大ちゃん事件)

★1990年 1990年6月1日号では、この方針がさらに明確になった。全血、赤血球、白血球、血小板、血漿は受け入れない一方、免疫グロブリン、アルブミン、血液凝固第VIII因子など、主要成分から抽出された小分画については、受け入れる人もいるとして個人判断を認めている。『ものみの塔』1990年6月1日号「読者からの質問」

1992年 エホバの証人輸血拒否事件(東大病院事件)

1994年5月22日 「目ざめよ!」誌に「神を第一にした若者たち」が特集される

★2000年 2000年10月15日号では、自己血を用いる医療処置についても詳しい線引きが示された。手術前に自分の血液を採取・保存し、後で戻す術前自己血貯血は「神の法に反している」とされた。一方、血液希釈、セル・サルベージ、人工心肺、透析などについては、血液が依然として自分の循環系の一部であるとみなせるかどうかを含め、各信者が良心に従って判断するとされた。『ものみの塔』2000年10月15日号「読者からの質問」

2008年 「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」が公表される

2022年末 いわゆる宗教虐待Q&Aが発出される(輸血拒否によるネグレクトだけでなく、輸血拒否カードの携行についての言及もあり)

2022年末 エホバの証人問題支援弁護団発足、輸血拒否に関する論述を公表

2023年11月 エホバの証人問題支援弁護団による虐待被害報告レポートが公表される

2023年11月 JW虐待被害アーカイブにより、性的虐待被害レポートが公表される

★2026年3月 保存自己血を個人判断に変更

2026年 滋賀、名古屋、熊本、沖縄などでエホバの証人の輸血拒否が差別にあたるという主張の訴訟が相次ぐ

★2026年9月18日 輸血拒否の教理を大幅に変更

関連リンク

追加予定

報道

9月19日、FNNによる報道

9月19日、読売新聞による報道

余談:教理変更によって、輸血拒否訴訟の意味はどう変わったのか

余談:教理変更によって、輸血拒否訴訟の意味はどう変わったのか

2026年、日本各地でエホバの証人の信者による輸血拒否をめぐる訴訟が相次いで提起されました。滋賀、名古屋、熊本、沖縄の医療機関を相手として、宗教上の理由から輸血を拒否した結果、手術や検査などを受けられなかったとして、損害賠償や病院方針の無効確認などを求めるものです。

ところが、これらの訴訟が係属している最中に、教団は輸血に関する教理を大きく変更しました。この変更によって、一連の訴訟をどのように理解すればよいのでしょうか。私は、訴訟が法的に直ちに成立しなくなったわけではないものの、その実質的・組織的な意義は大きく損なわれたと考えています。

輸血拒否は、教団共通の義務ではなくなった

従来、エホバの証人は、全血だけでなく、赤血球、白血球、血漿、血小板という4つの主要成分についても、輸血によって受け入れてはならないとしてきました。このため、信者が手術などを受ける際には、生命を救うために必要となっても輸血を行わない「絶対的無輸血」を求めることがありました。

これに対して多くの医療機関は、可能な限り輸血を避けるものの、救命のために必要となれば輸血を行う「相対的無輸血」を採用しています。例えば、滋賀医科大学医学部附属病院沖縄県立八重山病院も、生命維持に必要な場合には輸血を行うという方針を公表しています。

今回の訴訟は、この「絶対的無輸血を求める信者」と「相対的無輸血を採用する病院」との対立から生じたものと理解できます。

しかし、本記事で明らかな通り、教団は実質的に輸血を禁止しなくなりました。教団は、会衆が個人の決定に関与せず、他の信者もその決定を批判してはならないと説明しています。

訴訟が法的に消滅したわけではない

ここで、「教理が変わったのだから、訴えの利益もなくなったのではないか」という疑問が生じます。ただし、法律上の問題は、もう少し分けて考える必要があります。

一連の訴訟で問題となっている診療は、主に2021年から2024年ごろのものです。当時は主要4成分も禁止されていたため、原告らは当時の教理に従って絶対的無輸血を求めたと考えられます。

過去に診療を受けられなかったことについて損害賠償を求める部分は、後から教理が変わっただけで消滅するものではありません。病院の対応が当時の状況に照らして適切だったのかという問題は、現在の教理とは別に判断されることになります。

一方、病院の輸血方針そのものの無効確認など、将来に向けた請求については、教理変更の影響を強く受けます。原告が主要な血液成分を受け入れるようになり、病院方針との現実的な対立がなくなったのであれば、現在も裁判所による判断を求める必要があるのかが問題になるからです。

したがって、法的な意味で一律に「訴えの利益がなくなった」とするのは正確ではありません。しかし、法律用語としての訴えの利益とは別に、訴訟を続ける実質的な必要性や、エホバの証人全体の権利を獲得する訴訟としての意義は、大きく損なわれたと私は考えます。

今後は「教団の教理」ではなく「信者個人の良心」が争点になる

教理変更後も、信者が主要4成分を含む全ての輸血を拒否することは可能です。したがって、原告本人が現在も絶対的無輸血を望んでいるなら、その人と病院との対立は残ります。

ただし、その意味は従来とは異なります。以前は「エホバの証人である以上、主要4成分を受け入れることはできない」という教団共通の制約でした。現在は、主要成分を受け入れるかどうかは、信者個人の良心による選択です。

そのため、訴訟を継続するのであれば、原告は「教団の教理によって受け入れられない」と主張するのではなく、「私は個人の信仰上の良心として、現在も全ての輸血を拒否する」と主張することになるでしょう。

この場合、訴訟は、エホバの証人という宗教集団に対する差別の問題から、患者個人が希望する条件で医療機関に治療を提供させることができるのかという問題へと変化します。輸血を拒否する自己決定権と、絶対的無輸血を条件として治療を受ける権利は、同じものではありません。

一連の訴訟には組織的な共通性が見られる

私は、一連の訴訟が各原告の完全に独立した判断によって、偶然、同じ時期に起こされたとは考えにくいと思っています。

現在確認されている4件の訴訟は、滋賀、名古屋、熊本、沖縄という離れた地域で、2026年1月から5月までの短期間に提起されました。原告は合計13人で、請求額は一人当たりおおむね330万円です。病院の輸血方針を宗教差別や信教の自由、自己決定権の問題として争う構成にも共通性があります。

エホバの証人という組織を知る元信者などにとって、一般信者が自らの判断だけで大学病院や県を相手に訴訟を起こすという行動は、必ずしも理解しやすいものではありません。しかも、同じような訴訟が各地で同時多発的に提起されています。

このため、教団やその法務関係者、あるいは医療機関連絡委員会などを通じて、何らかの情報共有、法的支援または共通の訴訟戦略が存在した可能性を考えることには合理性があります。

もっとも、教団が原告を集めたことや、弁護士費用を負担したこと、訴状の作成を指導したことなどは、現在の公開情報からは確認できません。したがって、教団の組織的関与を事実として断定することはできませんが、少なくとも検討すべき仮説ではあります。

教理決定と法務活動が別々に進んでいた可能性

では、仮に教団の法務部門などが一連の訴訟を支援していたとすれば、なぜ訴訟の前提を崩すような教理変更が、その直後に行われたのでしょうか。

一つの可能性として、教理変更を検討する統治体の意思決定と、従来の教理を前提に世界各地で権利主張を行う法務部門の活動が、別々に進んでいたことが考えられます。

統治体による教理の見直しは、正式発表まで極めて限られた範囲で検討されていた可能性があります。一方、法務部門や各国の支部は、変更が正式に通知されるまでは、従来の教理を前提として病院との交渉や訴訟を続けていたのかもしれません。

この仮説が正しければ、日本で一連の訴訟を進めていた関係者は、主要4成分の拒否が個人判断に変更されることを知らないまま、旧教理を守るための訴訟を提起したことになります。

これは、統治体と法務部門が対立していたというより、機密性の高い教理変更が組織内部で十分に共有されず、異なる部門が異なる前提で動いていたという情報遮断または意思決定の時間差として理解できます。

ただし、法務部門が目指していたのは旧教理そのものを守ることではなく、全ての血液成分を個人の良心によって拒否する信者についても、希望する条件で治療を受けられる権利を確立することだったという解釈も可能です。その場合は、教理変更後も訴訟を続ける理由が残ります。

今後、訴訟はどうなるのか

私は、教理変更によって一連の訴訟の戦略は大きな見直しを迫られると考えています。特に、エホバの証人全体に共通する権利を獲得するための訴訟という位置付けは、維持することが難しくなりました。

今後は、訴訟の全部または一部が取り下げられる可能性があります。過去の診療に関する損害賠償請求だけを残し、病院方針の無効確認など将来に向けた請求を取り下げることも考えられます。

一方、原告が現在も主要4成分を含む全ての輸血を拒否するなら、個人の良心に基づく訴訟として継続する可能性もあります。その場合、教団の一律の禁止ではなく、原告本人がなぜ現在も絶対的無輸血を望むのかが、これまで以上に問われることになります。

現時点で、訴訟が実際に取り下げられるかどうかは分かりません。しかし、教理変更前と同じ論理のまま訴訟を続けることは難しいでしょう。原告側や訴訟を支援する関係者には、教理変更を踏まえて、訴訟の目的と主張を改めて説明する必要があります。

一連の訴訟は、旧来の輸血拒否教理を前提として起こされました。その後、教団自身が主要な血液成分の拒否を個人判断へ変更したことで、訴訟の集団的・組織的な前提は大きく崩れています。

過去の損害をめぐる訴訟は法的には継続し得ます。しかし、教団共通の教理を守るための訴訟としての意義は、事実上失われつつあると私は考えています。