この体験談は、エホバの証人の信仰を続けている人に離脱を促すことを目的とするものでもありません。また、エホバの証人やその信者に対するヘイト、差別、迫害を意図するものではありません。
自分の経験を振り返り、信仰と人生の選択について考えたことを、今、迷いや葛藤を抱えている方々に伝えるために書いたものです。信仰を持つことも、持たないことも、続けることも、辞めることも、本人の自由な意思によって決められるべきだと考えています。
僕は、1970年代生まれ、執筆時現在、40代の元エホバの証人の男性です。
執筆日:2026年10月19日
はじめに
エホバの証人を辞めたい。でも、なかなか辞められない。
信仰には疑問がある。でも、これまでの人間関係を失いたくない。家族との関係も壊したくない。辞めた後、自分はどうなってしまうのだろう。
そんな思いを抱えている人もいるのではないでしょうか。
僕も、かつてそうでした。
僕はエホバの証人の家庭で育ち、中学2年生でバプテスマを受けました。その後、少しずつ信仰に疑問を持つようになり、大学進学や就職を経て、教団から離れていきました。
ただ、僕の場合、はっきりと「辞めます」と宣言したわけではありません。引っ越しを機会に、少しずつ距離を置くフェードアウトを選びました。
教団の活動から離れても、長い間、罪悪感に苦しめられました。信仰心はすでになくなっていたのに、教団の価値観だけが心の中に残っていたのです。
フェードアウトなのでいつ止めたのかハッキリしませんが、今、僕は離れて20年以上が経過しました。
振り返ってみると、エホバの証人を辞めて、本当に良かったと思っています。自分がしたいことを追求し、自分で人生を選べるようになったからです。
ただ、辞めるまでの道のりも、辞めた後の人生も、決して単純なものではありませんでした。
僕がどのようにエホバの証人になり、なぜ疑問を持ち、どのように離れていったのか。そして、今になって何を思うのか。
少し長くなりますが、僕自身の経験をお話ししたいと思います。
母がエホバの証人になった理由
この話は、僕の母の人生から始まります。
母は、祖父が営んでいた魚屋の娘として育ちました。商売をしていたこともあり、比較的裕福な家庭だったと聞いています。
当時の日本社会には、女性は結婚すれば家庭に入るのだから、高い教育や特別なスキルは必要ないという考え方がありました。母もそのような時代の中で育ち、高校を卒業して社会に出ました。
高校卒業後は家業を手伝ったりしていたようですが、その後、有名な通信会社に就職し、アシスタントの仕事をしていたそうです。
そこで僕の父と出会い、結婚しました。
父方の家は、比較的大規模な農業経営をしていました。父方の祖父は知恵者で、地域社会でも影響力のある人物だったと聞いています。
結婚して数年後、僕の3歳上の兄が生まれ、そして僕が生まれました。
ところが、僕が3歳くらいの頃、父が自殺未遂を起こします。
父は一命を取り留めたものの、歩くことも話すことも難しくなり、働けない状態になったそうです。父方の実家が父を引き取ることになり、僕の両親は離婚しました。
離婚の際、父方の祖父は、本来母が受け取るべきお金を渡さなかったと聞いています。
母は、幼い子ども2人を抱えて社会に投げ出されることになりました。
十分な職業教育を受けていたわけでもなく、経験した仕事もアシスタント的なものが中心でした。
母がどのような苦労をしたのか、詳しくは知りません。
しかし、幼い子ども2人を育てながら、自分で生活費を稼ぎ出さなければならない。その苦労が相当なものだったことは想像できます。
住む場所を転々とし、仕事や生活環境の変更を迫られ、最後にたどり着いたのが、僕が育った町でした。
母は独学で調理師の資格を取得したと聞いています。そして学校での仕事を得て、ようやく比較的安定した生活を送れるようになったようです。
それでも、母の心の中には一つの疑問があったようです。
「なぜ、自分がこんな苦しい人生を送らなければならないのか」
そんなとき、母のもとにいくつかの宗教団体が近づいてきました。
統一教会もその一つでしたし、エホバの証人もその一つでした。
母は統一教会やその他の宗教団体については酷評していましたが、エホバの証人には次第に惹かれていったようです。
アメリカから来たキリスト教というキラキラ感や親身になってくれた司会者の姉妹に影響されたのではないかと思います。
後から振り返ると、母が宗教に求めていたものは、単に永遠の命という希望だけではなかったように思います。
自分が経験してきた苦しみに意味を与えてくれるもの。なぜ自分がこんな人生を歩むことになったのか、その答えを示してくれるもの。
母にとって、エホバの証人の教えは、そういう役割を果たしていたように見えます。
母の孤独と、僕が聖書研究を続けた理由
その後、母は再婚しました。
僕には新しい父ができ、新しい姉妹もできました。新しい家族との生活は、当初、とても厳しいものでしたが、何とか順応していきました。
しかし母は、エホバの証人としての信仰を深めるにつれて、新しい父の実家の環境になじめず、孤立していったように見えました。
父の実家は田舎の農家で、昔ながらの家父長的な考え方が残る家でした。
母は家の中でも、時々訪れる父の実家でも、どこか孤独だったように思います。
そんな中、母はエホバの証人になり、僕ら兄弟4人は全員、聖書研究を勧められました。
ところが、僕以外の3人は、1回目で聖書研究をやめてしまいました。
僕だけが続けることになったのです。
なぜ続けたのか、はっきりした記憶はありません。
ただ、今になって思うのは、母が孤独だったからではないかということです。
母は寂しそうにしていました。僕が一緒に信仰を持つことで、母が孤立せずに済むのではないか。
そんな気持ちが、少しはあったような記憶があります。
小学校3年生くらいから、僕は集会に行くようになりました。
そして、エホバの証人の世界で、大人たちから認められることに喜びを感じるようになっていきました。
伝道者になる。バプテスマを受ける。補助開拓奉仕をする。
そうした目標が示され、達成すれば周囲の大人たちが褒めてくれます。
同級生よりも少し早く進歩することが、僕にとってのモチベーションでした。
正直なところ、聖書の内容や教理そのものに強い関心があったわけではありません。
むしろ、大人たちに認められ、教団の中で評価されることに快感を覚えていたのだと思います。
僕は中学2年生でバプテスマを受け、補助開拓奉仕も始めました。補助開拓奉仕は高校1年生くらいまで続けたと思います。
今振り返ると、当時の僕は、自分が本当に何を信じているのか、十分に考えたことがなかったように思います。
周囲の大人たちから示される目標を達成することと、自分の意思で信仰を持つことは、必ずしも同じではありません。
しかし、当時の僕には、その違いがよくわかっていませんでした。
初めて教理に疑問を持ったとき
中学2年生か3年生の頃だったと思います。
書籍研究で、進化と創造を扱った本を学んでいたときのことです。
その中に、赤い豆と白い豆が山のように積み上げられている例えがありました。
そこからスコップで豆を少し取り出すとします。
赤と白の豆が十分に混ざっていれば、白い豆だけを取り出せる可能性は非常に低い。
だから、進化は起こらない。
そのような趣旨の説明だったと思います。
しかし、僕は違和感を覚えました。
「試行回数が十分に多ければ、白い豆だけを取り出すこともあるのではないか」
そう思ったのです。
今考えると、単純な確率の問題です。
確率が低いということと、起こり得ないということは違います。
もちろん、それだけで進化の仕組みを説明できるわけではありません。
しかし、僕が疑問に思ったのは、教団の説明の仕方そのものでした。
論理を一つひとつ積み上げて結論を導くというよりも、もっともらしい例えを示して、雰囲気で納得させようとしている。
そんな印象を持ったのです。
それが、僕の記憶に残っている、教理に疑問を持った最初の経験でした。
ただ、そのときに信仰をやめようと考えたわけではありません。
その後も、教団の中での生活を続けていました。
進学とともに、少しずつ離れていった
中学校を卒業するとき、僕は普通高校ではなく、高等専門学校、いわゆる高専に進学することにしました。
家庭がそれほど裕福ではなかったという事情もありましたし、工業的なスキルを学び、将来の仕事につなげたいという思いもありました。
大学進学には厳しいエホバの証人の中でも、高専への進学は、それほど問題視されなかったように思います。
高専に入ってからは、エホバの証人としての活動が徐々に減っていきました。
1年生の頃は、まだ中学校時代の友人関係が続いていました。会衆の兄弟姉妹たちとも仲が良く、集会や奉仕だけでなく、それ以外の時間も一緒に過ごしていました。
しかし、2年生、3年生と進むにつれて、次第に自分の世界が広がっていきました。
4年生になる頃には、将来の進路を真剣に考えるようになります。
そのとき、僕はすでに、エホバの証人として生きていく自分の姿を想像していませんでした。
とはいえ、はっきり辞めようと決めていたわけでもありません。
ただ、自分の進みたい方向が、教団の示す人生とは違ってきていたのです。
高専は20歳で卒業することになります。
20歳になった自分を想像したとき、社会に出て働けるだけの能力が身についているのか、不安がありました。
そこで僕は、大学への進学を目指すことにしました。
1年間、成績を上げることや試験勉強に集中し、何とか大学に合格することができました。
しかし、当時のエホバの証人の世界では、大学進学は勧められていませんでした。
周囲の兄弟姉妹たちから白い目で見られることもありました。
後になって聞いた話ですが、僕の大学進学について不満を抱いた信者が、母のもとを訪ねてきたこともあったそうです。
母はその不満を受け流し、僕には伝えませんでした。
そのときの母の対応は、良かったと思っています。
母は教団の規則をよく読んでおり、周囲の雰囲気には簡単に流されない人でした。
当時、子どもが大学に進学した場合、親が長老であれば資格に影響する可能性がありましたが、一般の信者である親には、特に罰則があったわけではありません。
母はその違いを理解していたのだと思います。
もちろん、学費の問題はありました。
進学先は国立大学だったので、奨学金を借りれば何とか通えることがわかりました。奨学金をできるだけ借り、少しは仕送りもしてもらいながら、大学に進学しました。
進学先は故郷から遠く離れた場所でした。
そこで僕は、集会に行くか行かないかを、自分で選べるようになりました。
しかし、僕は集会に行くことを選びました。
なぜそうしたのか、今でもよくわかりません。
すでに教団の教理には整合性がないと思っていましたし、信仰心と呼べるものもほとんど残っていませんでした。
それでも集会に行っていたのです。
おそらく、長年続けてきた習慣を断ち切る勇気が、まだなかったのだと思います。
信じていないのに、やめられない。
自分の意思ではないのに、これまでと同じ行動を続けてしまう。
そんな状態だったのだろうと思います。
東京への就職が、教団との別れになった
大学卒業時、僕は同級生たちと同じように就職活動をしました。
エホバの証人らしい仕事を選ぼうという考えは、全くありませんでした。
当時、信者の中では電気の検針や新聞配達など、奉仕活動と両立しやすい仕事を選ぶ人もいました。
しかし、僕にはそうした仕事を選ぶという発想がありませんでした。
実家に戻るつもりもありませんでしたし、信仰生活を続けるという選択肢も、すでに頭の中にはありませんでした。
就職活動は幸い順調に進み、東京で働くことになりました。
高専から大学に進学したときに続く、2回目の大きな引っ越しです。
東京では会社の寮に入り、その後は一人暮らしを始めました。
そして東京では、集会に全く行かなくなりました。
『ものみの塔』や『目ざめよ!』を読むこともなくなりました。かつて親しくしていた兄弟姉妹たちに会うこともなくなりました。
僕は仕事に打ち込むようになりました。
こうして、教団との物理的なつながりは、ほぼなくなったのです。
今思えば、これが僕のフェードアウトでした。
ただ、教団とのつながりがなくなったからといって、心まで自由になったわけではありませんでした。
教団を離れても、罪悪感は消えなかった
社会人として生活していると、エホバの証人として身につけた価値観と、現実の生活がぶつかることがありました。
その大きなものの一つが、恋愛です。
エホバの証人では、信者以外との交際が認められていません。
僕はすでに集会に行っていませんでしたし、教団の教理も信じていませんでした。
それなのに、いわゆる「世の人」と恋愛することには、強い抵抗感があったのです。
恋愛をしたら、何か悪いことが起きるのではないか。
ただでさえ信仰から離れているのに、さらに悪いことをしてしまうのではないか。
言葉にすると不合理な話ですが、当時の僕には、そんな漠然とした不安がありました。
どこかで、悪いことをしているような気がする。
いつも罪悪感がつきまとう。
その罪悪感は、何年も続きました。
教団から離れたつもりでも、教団の価値観は心の中に残っていたのです。
あるとき、僕はとうとう、長老に連絡を取りました。
それまで一度も交わったことのない会衆の長老に、自分から連絡したのです。
そして王国会館に行き、これまでの自分の「悪事」を告白しました。
恋愛をしたこと。パチンコをしたこと。集会に行かなかったこと。奉仕に出なかったこと。引っ越してから会衆と交わらなかったこと。
今から考えれば、どれも大したことではありません。
しかし、そのときの僕には、悪いことをしたという意識がありました。
誰かに話して、罪悪感から解放されたい。
そんな思いだったのだと思います。
そして、実際に告白しました。
その後、何が起こったと思いますか。
僕はエホバの証人に復帰しませんでした。
これは自分でも意外でした。
長老に話したら、すっきりしてしまったのです。
もう、エホバの証人として戻ろうとは思いませんでした。
あれほど苦しんでいた罪悪感が、ずいぶん軽くなりました。
あの経験は、僕にとって大きな転機でした。
教団の活動をやめることと、教団の価値観から自由になることは、全く別のことだったのだと思います。
僕は物理的にはすでに教団を離れていましたが、心理的には、まだ教団の支配から抜け出せていなかったのでしょう。
長老への告白という、今から考えれば少し不思議な経験を通じて、ようやく僕は自由になれたのだと思います。
自分の人生を、自分で選べるようになった
それから、僕の人生は変わりました。
恋愛ができるようになり、やがて結婚しました。もちろん、結婚相手はエホバの証人ではありません。
今では、普通の結婚生活を送っています。
仕事でも、自分のしたいことを追求できるようになりました。
勉強をして資格を取ったり、自分の会社を作ったり、仕事の経験を積んだりしてきました。
経済的な基盤も、徐々に築くことができました。
もし、エホバの証人を続けていたら、今の人生はなかっただろうと思います。
もちろん、エホバの証人を続けながら仕事で成功する人もいるでしょうし、信仰を持ちながら充実した人生を送っている人もいるでしょう。
ただ、少なくとも僕にとっては、教団が求める生き方と、自分が本当にしたいことは違っていました。
エホバの証人として開拓奉仕を続けたり、長老や監督的な立場を目指したりしても、今の僕が得ている充実感は得られなかったと思います。
今、僕は50歳です。
これまで、自分のしたいことをしてきたと思いますし、今もしています。そして、これから新しくやってみたいこともあります。
若い頃は、自分が何をしたいのか、はっきりわかっていたわけではありません。
それでも、一つだけわかっていたことがありました。
エホバの証人として生きていきたいとは思っていなかったのです。
信じていない教理を信じているふりをして、神に従順であるという名目で、実際には統治体の指示に従い続ける。
そんな人生を送りたいとは思っていませんでした。
何がしたいのかわからなくても、何をしたくないのかはわかることがあります。
僕の場合、それが自分の人生を選ぶための出発点だったのだと思います。
50歳になった僕と、80歳近くになった母
母は今でも、エホバの証人として信仰を続けています。
母とは時々、教理について話すことがあります。
輸血拒否に関する教理の変更や、乾杯に関する見解の変更などが話題になることもあります。
しかし、教理が変わったからといって、母の信仰が揺らぐことはありません。
統治体への信頼が、母の骨の髄まで染み込んでいるように感じることもあります。
母と話していても、教団の説明をそのまま繰り返しているように感じることがあります。
一人の人間として、母自身はどう考えているのだろう。
そう思うこともあります。
ただ、最近、母と話していて、とても印象に残ったことがありました。
今、僕は50歳になり、母は80歳近くになっています。
あるとき、復活の教理について話をしました。
僕は母に、こんなことを言いました。
「僕は復活なんて興味がないし、ハルマゲドンが来たら、僕の人生はそこまでだと思っている。その先まで生き延びて、永遠に生きたいとも思わない。だって、生物というのは死ぬものだから。永遠に生きるという考え方は理解できなくもないけれど、生物の原則には反していると思うんだよね」
すると母は、意外なことを言いました。
「私も別に永遠に生きたいとは思っていない。ただ、この信仰を全うできることが、私にとっては大事なんだ」
そういう趣旨のことを話してくれたのです。
僕は、この会話をとても良いものだったと思っています。
母にとって宗教が、正しい位置に置かれているように感じられたからです。
僕は、復活の教理が間違っていると断言するつもりはありません。
ただ、永遠の命を得たいという希望を強く持つあまり、今の人生を犠牲にしてしまうことには、どうしても疑問を感じます。
自分のしたいことを我慢する。自分の進みたい道を諦める。誰かに言われたことに従い続ける。
そして、その見返りとして、将来の永遠の命を期待する。
そのような生き方には、この世での人生をおろそかにしてしまう危険があると思います。
一方、母は、永遠に生きること自体を強く求めているわけではありませんでした。
自分が選んだ信仰を、最後まで全うしたい。
母の言葉からは、そんな思いを感じました。
僕は、母が信仰を続けていること自体を、否定したいわけではありません。
母が自分の意思で、その信仰を大切にしているのであれば、それは母の人生です。
母にとって宗教が、自分の人生を全うするためのものになっている。
そう感じられたことが、僕にはうれしかったのです。
フェードアウトするか、はっきり辞めるか
ここで、エホバの証人を辞めたいと思っている方に、僕自身の経験から伝えたいことがあります。
僕は、はっきりと断絶を宣言することなく、フェードアウトという方法で教団を離れました。
高専から大学への進学、そして東京への就職という、2回の大きな引っ越しが、そのきっかけになりました。
自分の進路を追求しているうちに、生活する場所が変わり、付き合う人が変わり、教団の活動から自然に離れていきました。
そのおかげで、母との関係も維持することができました。
もし僕がはっきりと断絶していたら、母から忌避されていたかもしれません。
長年付き合ってきた友人たちから、そっぽを向かれることにもなったかもしれません。
僕にとって、それは非常につらいことでした。
だから、当時の僕にとって、フェードアウトは悪い選択ではなかったと思っています。
ただ、フェードアウトには別の問題もあります。
僕自身が経験したように、教団を物理的に離れても、心理的にはなかなか自由になれないことがあるのです。
信仰を続けるのか、辞めるのか。
その決断をはっきりしないまま離れてしまうと、教団の価値観や罪悪感を長く引きずってしまうことがあります。
エホバの証人問題支援弁護団の調査をもとにした書籍には、同志社大学の清水先生による、教団を離れた人の心理状態についての分析が紹介されています。
その分析では、排斥や断絶という形で教団との関係が明確になった人の方が、その後の精神的な状態が良い傾向にあるとされています。
僕自身も、その考えには共感するところがあります。
自分ではっきり決めることによって、教団との心理的な関係を整理できる場合があるのだと思います。
ただ、誰にとっても断絶が最善とは限りません。
家族との関係、経済的な事情、住む場所、年齢、精神的な状態など、人によって置かれている環境は違います。
断絶すれば、大切な人間関係を失う可能性もあります。
何より、僕自身がフェードアウトを選んでいます。
だからこそ、どちらか一方が正しいと言うつもりはありません。
僕が伝えたいのは、自分の意思で、自分の人生を選んでほしいということです。
フェードアウトを選んでもいい。はっきりと断絶するという選択もある。今すぐには決めず、生活環境を整えてから考えてもいいと思います。
大切なのは、恐怖や罪悪感だけを理由に、自分の人生を決めないことです。
信仰を持つことと、自分の人生を生きること
僕はエホバの証人を辞めましたが、信仰そのものを否定しているわけではありません。
今でも、宗教には関心があります。
ただ、唯一神であるエホバだけを崇拝し、他の信仰を否定するような考え方には、魅力を感じません。
むしろ、八百万の神を認め、神仏習合という文化を育んできた日本の宗教観には親しみを感じています。
神道や日本の仏教に対しても、熱心な信者というわけではありませんが、敬意や信仰心を持っています。
僕にとって大切なのは、宗教を信じるかどうかではありません。
宗教が、その人の人生の中でどのような位置を占めているかということです。
宗教を大切にしながら、自分の人生を充実させる人もいるでしょう。
一方で、宗教に従うことを優先するあまり、自分が本当にしたいことを諦めてしまう人もいるでしょう。
僕が問題だと思うのは、後者のような生き方です。
宗教のために生きるのか。
宗教を自分の人生の一部として生きるのか。
その違いは、とても大きいと思います。
そして、それを決めるのは教団でも、親でも、長老でもありません。
あなた自身だと思うのです。
迷っているあなたへ
僕は、エホバの証人を辞めて本当に良かったと思っています。
その一番の理由は、自分の人生を自分で選べるようになったからです。
若い頃の僕は、自分のしたいことが何なのか、よくわかりませんでした。
何を仕事にしたいのか。どんな人と結婚したいのか。どこで暮らしたいのか。どんな人生を送りたいのか。
そんなことを、最初から明確に描けていたわけではありません。
ただ、エホバの証人として生き続けたいとは思っていませんでした。
それだけは、はっきりしていたのです。
だから僕は、少しずつ違う道を歩き始めました。
高専に進み、大学に進学し、東京に就職し、教団から離れていきました。
その過程では迷いもありましたし、罪悪感に苦しんだこともありました。
しかし、今振り返ると、自分の意思で進路を選び続けたことが、今の人生につながっているのだと思います。
もし今、あなたがエホバの証人として生きることに迷っているのなら、考えてみてほしいことがあります。
あなたは、本当は何をしたいのでしょうか。
進学したいのでしょうか。仕事に打ち込みたいのでしょうか。好きな人と恋愛したいのでしょうか。結婚したいのでしょうか。もっと広い世界を見てみたいのでしょうか。
あるいは、信仰を続けたいのでしょうか。
どんな答えでもいいと思います。
ただ、その答えは、本当にあなた自身の気持ちでしょうか。
親を悲しませたくないから。友人を失いたくないから。長老に叱られたくないから。ハルマゲドンが怖いから。
そうした理由だけで、自分の人生を決めてはいないでしょうか。
自分のしたいことが、今はまだわからなくても構いません。
僕もそうでした。
ただ、自分がしたくないことまで、無理に続ける必要があるのかは、考えてみてほしいと思います。
人生は、一度しかありません。
復活や永遠の命があると信じるのも、一つの生き方だと思います。
しかし、少なくとも僕たちが今、確かに生きているこの人生は、目の前にあります。
今日という日があります。
明日も、来年も、10年後も、自分の人生が続いていく可能性があります。
その時間を、どう使うのでしょうか。
したくないことを続けながら、いつか訪れるかもしれない将来を待つのでしょうか。
それとも、今の人生の中で、自分のしたいことを見つけ、一つずつ実現していくのでしょうか。
50歳になった今、僕は、自分が選んできた人生に満足しています。
もちろん、すべてが順調だったわけではありません。後悔が全くないわけでもありません。
それでも、自分の人生を、自分の意思で歩んできたという感覚があります。
そして、これからもやりたいことがあります。
母も80歳近くになりました。
母には母の信仰があり、母なりに全うしたい人生があります。
僕には僕の人生があります。
あなたにも、あなた自身の人生があります。
エホバの証人を続けることも、辞めることも、距離を置くことも、あなた自身が選んでよいのです。
一度きりしかない人生を、宗教に振り回されて過ごすのか。それとも、自分の意思で歩んでいくのか。
どうか、あなた自身の気持ちを大切にしてください。
一度きりしかない人生です。
自分の人生を、自分の意思で、ハッキリと歩んでください。